■積極的に清から学び、多くの捕虜を救った昭顕世子
外交官のような役割を果たしていた昭顕世子は、清が朝鮮に対して無理な要求をしてくるときは交渉に挑み、遮ったりすることもあった。日々、清の高官や武将などと狩猟や宴に付き合いながら人脈をつくり、ときには賄賂も用意し、瀋館で接待もした。のちに3代・順治帝の摂政として活躍する睿親王(ドルゴン)とも交流している。
そのためには財政が必要だった。そこで、妻である姜嬪のすすめもあり、連行された捕虜たちを集めて、瀋陽のそばの土地を開梱。穀物を売った金で、ほかの捕虜を救い、彼らにも農業をさせた。さらには清と朝鮮の商人と貿易を開始、やがて瀋館の前は市のように栄えたそうだ。
また、世子は当時、清に輸入されていた西洋の文物にも興味をもち、西洋人とも交流。ドイツ人神父アダム・シャールとの出会いから天主教や西洋の学問にもめざめていった。特に西洋の暦法に関心をもち、進んで勉強したそうだ。このとき、シャールからは天球儀や天文書なども贈呈されていたのだとか。(しかし、その品は残されていない)
■疑われ、疎まれながら急死。毒殺説も
一方、朝鮮側はといえば、清との君臣関係を結んだとはいえ、裏では脈々と「崇明排清」の思想が続いていた。清に近づく世子を苦々しく思う仁祖は、自分の配下の者を瀋館に配置し、世子夫妻の行動を逐一監視し報告させた。世子が、清につれてこられた朝鮮の民(約50万人といわれている)を守るためにはじめたさまざまなことも、西洋学を学ぶことも「王位継承者としてあるまじき行為」だと非難した。
世子の行いすべてが、玉座を狙う野心に映り、危険視され、どんどん父子の溝は深まっていく。
1645年1月、清から8年ぶりの帰国が許された昭顕世子が帰国を果たす。だが、それからわずか2カ月後に怪死を遂げた。『仁祖実録』には「全身が黒くなり、身体の七つの穴から鮮血が流れ出た」と記されている。
マラリアだったとも、原因不明の病気だったともいわれる一方で、仁祖がその葬儀を一般の平民の葬儀に準ずる手順を踏んだこと、世子の息子を世孫にせず、世子の弟の鳳林大君を世継ぎに指名したことなどから、仁祖側の毒殺説がまことしやかに囁かれるように。
古くは『チュノ―推奴―』や『天命』、最近では映画『梟―フクロウ―』やドラマ『御史とジョイ』など、毒殺説に基づくエピソードが誕生している。
●配信情報
[2024年/全16話]演出:チョ・ナムグク『模範刑事』シリーズ、『ファンタスティック~君がくれた奇跡~』『追跡者 チェイサー』 脚本:キム・ソンドク『王になった男』
出演:チョ・ジョンソク、シン・セギョン、イ・シニョン、パク・イェヨン、ソン・ヒョンジュ