■ドラマ『朱蒙』でも大活躍だった“ヨンダバル”の子孫を名乗る卒本

 卒本〈チョルホン〉も見逃せない存在だ。妖艶で豪快、女傑の名がふさわしい卒本の首長ヨン・ビは、延陀勃〈ヨンタバル〉の直系子孫と名乗っている。ヨンタバルといえばソソノの父として知られる人物だ。『三国史記百済本紀』によれば、朱蒙(鄒牟〈チュモ〉)が北扶余から流れて卒本扶余にたどり着いたとき、卒本王が、次女を妻にとらせた。と残っており、卒本王=ヨンタバルではないかと考えられている。

 つまり、もともとこの地にいたのは卒本で、コ氏こそ新参者という考えだ。それが如実なのが、ヨン・ビが北部の首長のところへ出張ったときのこと。「王妃族は高句麗じゃなく、卒本の民だったくせに、高句麗の犬になりやがって」と怒りをぶつけ、「鄒牟の子孫に従うのか延陀勃の血筋に従うのか」と選択を迫るのだ。

 さらに本作品では、国相ウル・パソも、コ氏に滅ぼされた朱那〈チュナ〉国の王族として、また卒本ともゆかりのある人物として描かれている。つまり、誰もがその機会を狙っているというわけだ。

■記録に残るコ・バルギの反乱とウ氏王后のその後

 実際、197年のコ・バルギ(8代王の長子と3番目の王子が同名だったせいで2人いたとも、同一人物とも諸説ある)の乱が、兄弟と部族同士の争いだったことも記録に残っている。

 197年、世継ぎのいなかった9代・故国川王が亡くなり、兄弟で後継者争いが勃発。ウ氏と結託した弟のコ・ヨンウ(10代・山上〈サンサン〉王)が即位すると、それに反発した兄のバルギが消奴部(西部)と組んで反乱を起こした。そして、彼が身を寄せた公孫氏(遼東地方に半独立政権を樹立した漢人)とともに王宮まで攻め込んできたため、山上王は弟のゲスに命じてこれを撃破。敗北したパルギは自害する。

 こうして再び王妃となったウ氏だが、山上王の間にも子ができず、やがて山上王が側室に迎えた灌奴部(南部)出身の側室との間に生まれた子が11代・東川〈トンチョン〉王に。ウ氏は王太后として君臨した。ちなみに、ウ氏が234年に亡くなると、遺言により山上王のそばに埋葬された。これを知った9代・故国川王の霊魂がウ氏の霊魂と争ったという説話も残されている。

●作品データ

『于氏王后(うしおうこう)』DVD-SET発売中/U-NEXTにて独占先行配信中

発売・販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント

[2024年/全8話(配信:全16回)]演出:チョン・セギョ 脚本:イ・ビョンハク

出演:チョン・ジョンソ、チ・チャンウク、キム・ムヨルチョン・ユミイ・スヒョク

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