■本当は残酷な「因幡の白ウサギ」伝説

因幡の白うさぎ/大国主と白兎

童謡としても親しまれた「いなばの白うさぎ」伝説。しかし、その背後には血塗られたエピソードが……。

画像:Kakuzō Fujiyama, Public domain, via Wikimedia Commons

『古事記』によるとスサノオの六世の孫、『日本書紀』の本文ではスサノオの息子とされる大国主(おおくにぬし)は幼い頃の名を「オオナムチ」といい、数多くのエピソードが語られている。そのなかで、童話にもなっているのが「因幡(いなば)の白ウサギ」だ。

 

 オオナムチには多くの兄弟がいて、総称は「八十神(やそがみ)という。

 

「なあなあ、因幡ってところにさ、すっげえカワイイ女の子がいるらしいぜ」

「へえ、なんて名前?」

「ヤガミヒメっていうらしい。とにかくヤバいくらいの美人なんだって」

「いいなぁ、結婚したいなぁ」

「オレの方が先だろ。兄貴なんだから」

「歳は関係ないだろ!」

「いいや、オレだな。このなかじゃあ、オレが一番イケメンだし」

「お前のどこがイケメンなんだよ。よく鏡見ろよ」

「何だと!」

 

 そんな言い争いがあったのかはどうかはわからないが、とにかく誰がいいのかヤガミヒメに決めてもらおう、ということになる。そこで、兄弟そろって因幡へゾロゾロとくり出したのだった。

 

 

■ワニザメと八十神にだまされたウサギ

白兎海岸

「事件現場」となった白兎(はくと)海岸。写真左奥が気田岬で、右手の淤岐ノ島(おきのしま)から渡ろうとして被害者(白うさぎ)は悲劇に……。

画像:Izumi Tomiyama, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

 たぶん末っ子だったであろうオオナムチは、兄たちの荷物を袋に詰めて一人でかつぎ、とぼとぼとあとにつづく。八十神はオオナムチをおいてけぼりにして、さっさと行ってしまう──姿の見えぬ兄たちを追いかけるオオナムチ。やがて気多(けた)という岬に到着した。

 

 そのとき、毛が抜かれて赤裸になったウサギがさめざめと泣いていた。オオナムチが理由を聞くと、ウサギは隠岐の島から海を渡ろうとした際、ワニザメをだましたために毛を抜かれてしまったという。

 

「それだけでも痛いのに、先にきた八十神は、海水を浴びて風に当たって寝転んでいれば治るといいました。言われたとおりにすると、海水が乾いて肌がひび割れ、皮が破けてしまいました。もう、痛くて、痛くて」

 

 ウサギはワンワンと泣く。不憫に思ったオオナムチは、真水で身体を洗い、敷き散らしたガマの穂に転がって花粉をつければもとに戻る、と親切に教えてあげる。オオナムチの言う通りにした途端、ウサギの身体は回復したのである。

 

「ありがとうございます。ご恩は一生忘れません。それと、ヤガミヒメは残酷な八十神を選びません。きっとあなたと結婚することでしょう」

 

 半信半疑ながら、八十神のあとを追ってヤガミヒメの屋敷に着いたオオナムチ。するとヤガミヒメは、オオナムチを一目見るなりこういった。

 

「あら、カッコイイ。それにやさしそう」

 

 いまもむかしも、女性が挙げる好きなタイプの第一条件は「やさしい人」。ヤガミヒメも例外ではなく、兄たちよりもオオナムチを選んだのだった。

 

■疑うことを知らない純粋な弟

 これが、「因幡の白兎」のおおまかなあらすじだ。だが、話はこれだけで終わらない。

 

「なんだよオオナムチのヤツ。末っ子の分際で」

「ムカツクなぁ。ヤキ入れてやんなきゃ」

「いっそのこと、やっちまおうか」

 

 日本神話に出てくる神様は、スサノオの例を見てもわかるとおり基本的に残酷だ。そもそも古代信仰の神は、人々が幸せに暮らせるように守ってくれるわけではない。地震や雷、洪水といった自然災害を起こし、困らせるのが神なのである。

 

 そのため、人間は災害を起こさないよう神に祈る。供え物をし、祭礼を行ない、ときには「人身御供(ひとみごくう)という生贄(いけにえ)まで差し出す。由緒ある神社が人里から離れた場所に鎮座するのはそのためで、神は恐怖の対象でもあり、近づきたくない存在でもあったのだ──と、解説はここまで。話を戻そう。

 

 オオナムチの殺害を決めた八十神は、伯耆国(ほうきのくに)の手間山(てまやま ※1のふもとに呼び出す。

 

「この山にさ、赤いイノシシがいるんだ。それをオレたちが追い降ろすから、お前は下で捕まえてくれ」

 

 兄の言いつけを素直に聞くオオナムチ。すると八十神は、イノシシ大の石を真っ赤に焼いて転がり落とした。

 

 オオナムチは、人を疑うということを知らない素直で純粋な性格である。ひと目見ればイノシシではなく焼け石だということはわかったであろうが、「兄たちがいうのだからイノシシに間違いない」と判断する。

 

 そしてオオナムチは石に抱きつき、またたく間に焼け焦げて命を落としてしまったのであった。

 

 

■木の割れ目で押しつぶされて圧死

大穴牟知命

明治を代表する早逝の天才画家・青木繁が描いたオオクニヌシの劇的な蘇生シーン(「大穴牟知命」1905年)

画像:アーティゾン美術館所蔵,PD,via Wikimedia Commons

「ヤキを入れられる」どころか、本当に焼かれてしまったオオナムチ。それを悲しんだのがオオナムチの母親、刺国若比売(さしくにわかひめ)だ。

 

 実は、サシクニワカの子どもはオオナムチだけで、八十神とは異母兄弟だとする説もある。八十神がオオナムチに残酷なのも、そのためだろう。 サシクニワカは亡くなったオオナムチをあわれんで、高天原の神産巣日神(かみむすびのかみ ※2に相談する。

※2 連載第1回に登場した「造化の三神」の一柱。古事記では神産巣日神、日本書紀では神皇霊産尊とも。

 

「どうか、息子を生き返らせてください。このままでは不憫でなりません」

 

 母の情に心を動かされたカミムスヒは、*貝比売(きさがいひめ)蛤貝比売(うむぎひめ)を遣わして治療させ※3)、見事にオオナムチを蘇生したのであった。

※3「きさ」は「討」の下に「虫」を組み合わせた国字。キサガイヒメは赤貝の化身で、ウムギヒメはまんま蛤の化身。体液(母乳?)で治療したとか……。

 

 ただ、これでめでたしめでたしならいいのだが、嫉妬にかられた兄の八十神は収まらない。

 

「オオナムチの野郎、生きてやがる」

「何だか、前よりたくましいぜ」

「ムカつくなぁ」

「焼いてダメならさ、潰せばいいんじゃね」

 

 焼石で焼くレベルでは、表面が焦げても中身はレア状態。だから蘇生も可能だった。ぺしゃんこにしてしまえば、肉体の全部が損傷を受ける──八十神は、そう考えた。そこで山に入って大木を切り、くさびを打ち込んで割れ目をつくる。

 

「おーい、オオナムチ。この割れ目に入ってみろよ。おもしろいものが見えるぜ」

「本当?」

 

 自分が焼け殺されてことを忘れてしまったのか、オオナムチは兄の誘いに応じる。純粋というか、少しおバカさんというか……。

 

 興味津々のオオナムチが割れ目に入った瞬間、八十神はくさびを抜き取る。木の割れ目は閉じ、オオナムチは圧死してしまったのだった。

 

 

■スサノオを頼って根の堅洲国へ

 もはや生き返ることはあるまい。意気揚々と八十神は帰る。虫の知らせでもあったのだろうか、母親は殺害現場へ駆けつけ、泣きながらオオナムチの亡骸を探す。

 

「まあ、こんなところに」

 

 木の割れ目にはさまったオオナムチ。母神サシクニワカが割れ目をひろげると、息絶えている息子を復活させた。たぶん、キサガイヒメとウミギヒメから特効薬をもらっていたか蘇生術を伝授してもらっていたのだろう。

 

「これで終わるわけがない。八十神は、ふたたびあなたの命を狙うはず」

 

 そこでサシクニワカは、紀国(きのくに)大屋毘古神(オホヤビコノカミ ※4のところへオオナムチを逃がす。だが、どこでどう嗅ぎつけたのか、八十神はオオナムチが生きていることを知ると、わざわざ紀国まで追いかけて来て、オホヤビコに引き渡すよう弓に矢をつがえて脅す。

※4 スサノオの子・五十猛命(いそたけるのみこと)と同一神とされる木や司る神という。

 

 多勢に無勢。勝目がないと思ったオホヤビコは、「わしの手には負えん。お前はスサノオのいる根の堅洲国へ行きなさい。スサノオさまが何とかしてくれることだろう」と告げたのだった。 

 

《オオナムチ絶体絶命のピンチ! スサノオの判定は……中編へつづく》

 

【参考資料】
『古事記(上)全訳注』
次田真幸・訳注(講談社学術文庫)
『「作品」として読む古事記講義』山田永・著(藤原書店)
『古事記講義』三浦佑之・著(文春文庫)
『本当は怖い日本の神様』戸部民夫・著(ベスト新書)
『八百万の神々 日本の神霊たちのプロフィール』戸部民夫・著(新紀元社)