韓国の時代劇には、実在の人物を扱いながら、大胆な創造と解釈で、ドラマチックに描いたものがたくさんある。

 時代劇の巨匠イ・ビョンフン監督作品の『オクニョ 運命の女(ひと)』で、ソ・ハジュンが演じた朝鮮王朝第13代・明宗(ミョンジョン)は、チン・セヨン演じるヒロイン、オクニョに想いを寄せ、王の密使のふりをして、彼女との時間を楽しむ姿が描かれるなど、イ・ビョンフン監督作らしいチャーミングさをもつ王だったが、実際の明宗は苦悩の人だといわれている。

ソウルの観光スポット、朝鮮王朝の宮殿「昌徳宮」 画像素材:PIXTA

■オクニョに想いを寄せる若き王、明宗は実際はどんな人生を送ったのか

 明宗の父は『宮廷女官チャングムの誓い』でおなじみの11代・中宗。母は中宗の第3王妃・文定王后(ムンジョンワンフ)ユン氏。『チャングムの誓い』では天然痘にかかった幼い慶源大君(キョンウォンテグン:のちの明宗)を、医女となったチャングムの賢明な治療で回復させるシーンがあったが、明宗は文定王后33歳のときに生まれた待望の王子だった。

 幼い頃から聡明で、学問を愛し、学者を尊敬してきた慶源大君は、異母兄である第12代王・仁宗(インジョン)が在位約9カ月で病死(この死は我が子を王にしたい文定王后らの毒殺説が有力となっており、この罪の告白は『オクニョ』でも描かれている)した1545年、わずか11歳で王位に就いた。

 とはいえ、彼が成人するまでの8年間は、母・文定王后による垂簾政治。この間、王后は自らを「女君主」を名乗り、実弟ユン・ウォニョンと権力を独占、政敵を粛清し、自らが傾倒する仏教を手厚く保護するように。不正腐敗がばびこる世の中において、苦労するのは決まって民。凶作続いたせいで、国の大半が飢饉に苦しみ、林巨正(イム・コッチョン)を代表とする義賊、さらに盗賊や倭寇が跋扈する混乱の時代を迎えていた。

 親政をはじめてから文定王后らの勢道政治の深刻さに気づいた明宗は、妃である仁順王后(インスンワンフ)・シム氏の外戚を、ユン・ウォニョン勢力牽制のために起用するのだが、彼らもまた清廉潔白ではなく、王権は失墜、朝廷は腐敗と、明宗の狙いとは違う方向へと進んでしまう。