韓国時代劇、とくに朝鮮王朝時代のドラマを見ていると、こんなに王様や世継ぎの命が狙われるものだろうか、と考えてしまうことがある。毒殺説がまことしやかにささやかれる王がいたり、世継ぎに呪詛をかけた罪に問われる後宮や外戚がいたり……。
そんなことは劇中だけかと思いきや、実際に「暗殺未遂事件」が起きた王様がいる。聖君として知られる朝鮮王朝第22代王・正祖(チョンジョ)。そう、イ・サンだ。
■イ・サンはなぜ、何度も暗殺の危機に見舞われたのか?
正祖は、王の世継ぎとして暮らした世孫時代について「服も脱げずに寝たのが何カ月(あった)かもわからない」(『正祖実録』より)と語ったことが記録に残っているほど、幼い頃から常に命に危険を感じてきた人物だった。
それは、幼いとき、父・荘献世子(思悼世子)が祖父・英祖の怒りを買い、米びつに閉じ込められ餓死した、いわゆる「米びつ事件」が端を発している。
政敵である老論派勢力の謀略で父を失ったことで、死が身近にあること、政敵はいつでも機会を狙っていることを身をもって知った少年サン。彼は心身を鍛えてそのときに備えつつ、就寝中に狙われることを警戒し、夜通し読書をするような生活を続けていたそうだ。
在位1年を迎えた、1777年7月28日。寝殿で夜な夜な書を読んでいた正祖は、いつもと違う風の音、屋根の上の気配に気づく。それが刺客だと確信した正祖は「誰かおらんのか!」と声を上げ、刺客を追うように命じた。その日、賊を捕らえることはできなかったが、たしかに屋根上に人物がいた形跡は発見された。
王宮に賊が入ったという事件は衝撃を与え、守りに適さないということで、居処を移すことになった。だが、引っ越しを終えた8月、正祖が過ごす昌徳宮に再び賊が現れた。前回と同一人物。しかも、彼を手引きしたのは宮殿を守る軍官だったことが判明。多くの内通者が、逆徒を手引きしていたのだった。