その年の12月、僕はその坂道に立っていた。道幅は僕の歩幅で4歩ほどだった。坂の下から見あげると、短い坂道だった。ハミルトンホテルの脇の道である。その坂をのぼってみた。急だった。しかし64歩で坂は終わってしまった。思った以上に短い坂道だった。犠牲者はこの坂道の5・7メートルほどの部分に集中していた。そこに300人以上の人がひしめいていたのではないかといわれている。

 訪ねたのは夜だった。人通りはほとんどない。横のホテルの壁に、犠牲者に贈る言葉が綴られた紙がびっしりと貼られ、酒や花が捧げられていた。規制線はすでにとり去らわれていたから、坂を自由に歩くことはできた。

 ソウルに住む知人とこの坂道を訪ねた。彼女は坂の下に立つだけでのぼろうとしなかった。

 ソウルは盆地に広がる街だ。周囲を山に囲まれている。北漢山、道峰山、仁寿山、露積山……。標高は500メートルほどと高くはないが、市内から眺めると標高以上に高く映る。これらの山々はソウルを守る役割を果たしていた。

 しかし人口が急増するなかで、住宅は盆地の平地部分から山の斜面へと広がっていった。こうしてソウルは坂、いや坂プラス石段の街になっていったのだ。

 知人にソウルのなかでも坂が多い街を訊いてみた。

「恵化(ヘファ)じゃない?」

 そんな声が多かった。

 その街を、いやその街の坂をのぼってみることにした。(つづく)