■傑作歴史漫画『ヴィンランド・サガ』の‟元ネタ”とは?
ヴァイキングの青年の数奇な運命と冒険を緻密な時代考証を元に描いた傑作漫画『ヴィンランド・サガ』(幸村誠/講談社)。2005年に『週刊少年マガジン』で連載が始まってから(後に『月刊アフタヌーン』に移籍)、今年2024年で約20年、ファン待望の最新28巻が刊行されたばかりだ。
累計発行部数は700万部(注1)、文化庁芸術祭マンガ部門大賞をはじめ各賞に輝き、2019年にはアニメ化され、2023年にはシーズン2が放送された。なお、アニメ版は現在、ネットフリックスやAmazonプライムなど各種動画配信サービスで公開されている。
注1 2023年1月、26巻刊行時点(講談社発表)
現在、最新28巻では「ヴィンランド建国編」として、主人公トルフィンたちが大きな決断を迫られる佳境を迎えているが、この『ヴィンランド・サガ』には、元となった物語が存在するのは有名な話。主人公トルフィンや妻グズリーズ、重要キャラクター「レイフのおっちゃん」も皆、その物語に登場する実在の歴史的人物とされる。
◾️ヴァイキングが発見した「ヴィンランド」
一般に、アメリカ大陸をヨーロッパ人が最初に「発見」したのは1492年、イタリア人の探検家、クリストファー・コロンブスだとされている。我々日本人は、長い間教科書でそう教わってきた。
しかし現在では、それより500年ほど前の西暦1000年頃(日本でいえば平安時代中期)、アイスランド生まれのヴァイキング(注2)、レイフ・エリクソンが北米大陸(現在のカナダ、ニューファンドランド島と推定される)に到達し、そこを「ヴィンランド」と名付けたという説のほうが有力だ。
注2 日本では「海賊」のようなイメージが強いが、一般的には「ノルマン人の航海者、探検家」の意味。
ピンときた方もいるだろうが、このレイフ・エリクソンこそが『ヴィンランド・サガ』に登場する「レイフのおっちゃん」のモデルだ。そして、彼が西暦1000年頃に北米大陸に到達し、入植地を築いたという物語は中世アイスランドで成立した古ノルド語のサガ(民話、散文など、著者不明の作品群)の『赤毛のエイリークのサガ』や『グリーンランド人のサガ』で描かれていた(注3)。
注3 欧米ではこの2つの物語を総称して『ヴィンランド・サガ』と呼ぶそうだ。
■トルフィンのモデルも「ブドウ実る土地」に実在!?
ちなみに、『ヴィンランド・サガ』の主人公トルフィンのモデルも、これらの「サガ」に登場する実在の人物、ソルフィン(トルフィン)・カルルセヴニ・ソルザルソン。やはりヴィンランドに入植したとされている。そこで問題となるのが、彼らが入植した「ヴィンランド」とはどこなのか、という謎。
ヴィンランドという名前の由来は、「ブドウ(vin)の国(ブドウの実る土地)」だと、『グリーンランド人のサガ』では説明されている。ただし、レイフやソルフィンが到達した地域はブドウの生育北限のはるか北だったことや、「サガ」がそもそも「伝説」という意味だったこともあり、その物語は長らく伝説、空想上の土地として扱われていた。
だが、第二次世界大戦後に謎の「ヴィンランド地図(Vinland Map)」が発見されたことで、レイフたちの「ヴィンランド・サガ」はにわかに真実味を増した。伝説の土地、夢物語と思われてきたヴィンランドが歴史上の事実と考えられるようになったのだ。それから50年以上にわたり、多くの人々を魅了し、あるいは惑わした「ヴィンランド地図」とはいったいどんなものだったのだろうか?
■世界を混乱させた「ヴィンランド地図」
「ヴィンランド地図」が見つかったのは1957年。イタリア人の古物商エンツォ・フェラジョリ・デ・ライが発見し、アーヴィング・デイヴィスというディーラーを通じて大英博物館に寄贈された。
中世ヨーロッパで盛んに作られた世界地図「マッパ・ムンディ」と同じく、15世紀に作られた羊皮紙の地図だったが、寄贈された大英博物館はなんと「偽造の疑いがある」として受け取りを拒否。その後、地図は別のディーラーであるローレンス・ウィッテンに3500ドルで売却され、そのウィッテンが母校のイェール大学へ持ち込んだ。
マッパ・ムンディと聞いてピンときた読者もいるだろう。その中のひとつ「ピり・レイスの地図」は、1513年に製作されたにもかかわらず、南北アメリカ大陸の海岸線から、19世紀になるまで未知の大陸だった南極大陸の海岸線まで描かれた謎の地図だ(注4)。そして、「ヴィンランド地図」が偽造の疑いを掛けられたのも、ピり・レイスの地図同様、15世紀当時ではありえないはずの詳細な地形が載っていたからだった。
注4 もう少し正確に言えば、マッパ・ムンディなど古地図をもとに作られたのがピり・レイスの地図。
「ヴィンランド地図」とは呼ばれているものの、実際にはヨーロッパ、アフリカ、アジアを描いた世界地図で、特にグリーンランドや「ヴィンランド(Vinlanda Insula)」と書かれた北米大陸の一部が詳細に描かれている。もしこれが本物であれば、ヨーロッパ人が北米大陸を描いた最古の地図だということになる。
こうして、発見当初から疑いの声はあったものの、1965年に「コロンブス以前に北米大陸を描いた本物の地図」と宣伝され、ヴィンランド地図の存在は一気に広まった。しかも、すでに地図の発見と相次ぐ形で1960年には、歴史を覆す大発見のニュースが北米大陸から届いていたのだ!
■実在した「ヴィンランド」の遺跡
カナダのニューファンドランド島にある、ランス・オ・メドー村(L'Anse aux Meadows)。この村にある長らくアメリカ先住民のものとされてきた遺跡が、実は、今からおよそ1000年前、11世紀に存在していたヴァイキング(ノルマン人)の入植地の遺跡だったことが判明したのだ。
800点を超す大量の遺物が発掘され、鍛冶場や原始的な溶鉱炉、製材所など当時のノルマン人入植者の生活を示す遺物も確認されている。ノルマン人の定住はほぼ500年間続いたと考えられ、コロンブスよりも500年前ににヨーロッパ人が北米大陸に到達し、しかも定住していたことを証明する動かぬ証拠として、注目されたのだ。
このランス・オ・メド―こそ、レイフ・エリクソンやソルフィンが拓いたヴィンランドだとみなす研究者も少なくない。この歴史的発見もあり、「ヴィンランド地図」の真実味も高まったワケだ。とはいえ、ヴァイキングが1000年前にヴィンランドに到達していたとして、彼らが現代の地図に引けを取らない正確な地図を作る能力、測量技術を持っていたかどうかは、別の話だ。
■研究調査で疑惑が続々。そして、遂に……
「ヴィンランド地図」が持ち込まれたイェール大学では、同時代の古資料との比較から、この謎の地図を本物とお墨付きを与えた。実際、地図に使われていた羊皮紙は15世紀のものと判明した。しかし、発見から約10年後、1966年にスミソニアン博物館で開催された「ヴィンランド地図会議」では再び、地図の筆跡や用語の点から偽造説が主張された。
さらに翌1967年には、当初から偽造を疑っていた大英博物館地図室の科学分析班が、インクや描かれた線について疑惑を指摘。それ以降、70年代から50年近く、ヴィンランド地図に使われたインクを中心に、真贋論争が繰り広げられた。
そして、遂に2018年、長年の議論と調査を経て「ヴィンランド地図」の所有者でもあるイェール大学自らが、「この地図は現代に作られた模造品」と認めた。研究成果を発表した同大学の研究者によると、使用されていたインクの主要成分のひとつが、20世紀の人工顔料であることがわかったという。
残念ながら「ヴィンランド地図」そのものはニセモノと確定したが、伝説のヴィンランドはどこにあったのかというミステリーはまだ研究の途中。さらなる発見のニュースを期待したいところだ。