【第三夜】「予兆」(『怪談青柳屋敷』より)
直子さんは三十年以上前、新宿のとあるビルの地下でスナックを経営していた。常連客の一人にケイタさんという男性がいた。四十代で恰幅(かっぷく)がよく、いつも元気で朗らかだった。
ある日、ケイタさんが一人で店にやってきた。
「なによ、いつものメンバーじゃないの?」
「ああ……」
ケイタさんは元気がなかった。何かあったのだろうと思ったが、やたらに詮索しないのが直子さんのスタイルだ。ケイタさんは何もしゃべらず、一時間ほど飲んで会計を頼んだ。
いつもは店の外まで見送らない直子さんだったが、ケイタさんが心配で、付き添って階段を上り、外の道まで出た。
「それじゃあね」
「ああ……」
とぼとぼと去っていくケイタさんの背中がいたたまれず、
「ケイタさん!」
直子さんは声をかけた。
振り返ったケイタさんには、顔がなかった。
直子さんは一瞬絶句したが、悟られてはいけないと思い、
「元気出しなさいよ」
それだけ言った。のっぺらぼうのケイタさんはひょいと会釈し、去っていった。
しばらくして、ケイタさんが事故で亡くなったという話を、ケイタさんの同僚から聞かされた。
【了】