【第三夜】「予兆」(『怪談青柳屋敷』より)

 

 直子さんは三十年以上前、新宿のとあるビルの地下でスナックを経営していた。常連客の一人にケイタさんという男性がいた。四十代で恰幅(かっぷく)がよく、いつも元気で朗らかだった。

 

 ある日、ケイタさんが一人で店にやってきた。

 

「なによ、いつものメンバーじゃないの?」

「ああ……」

 

 ケイタさんは元気がなかった。何かあったのだろうと思ったが、やたらに詮索しないのが直子さんのスタイルだ。ケイタさんは何もしゃべらず、一時間ほど飲んで会計を頼んだ。

 

 いつもは店の外まで見送らない直子さんだったが、ケイタさんが心配で、付き添って階段を上り、外の道まで出た。

 

「それじゃあね」

「ああ……」

 

 とぼとぼと去っていくケイタさんの背中がいたたまれず、

 

「ケイタさん!」

 

 直子さんは声をかけた。

 

 振り返ったケイタさんには、顔がなかった。

 

 直子さんは一瞬絶句したが、悟られてはいけないと思い、

 

「元気出しなさいよ」

 

 それだけ言った。のっぺらぼうのケイタさんはひょいと会釈し、去っていった。

 

 しばらくして、ケイタさんが事故で亡くなったという話を、ケイタさんの同僚から聞かされた。

 

【了】

 

怪談青柳屋敷
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『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』『浜村渚の計算ノート』『怪談刑事』などで知られる人気ミステリ作家・青柳碧人による初の実話怪談集。「怖い」だけでなく奇妙で不思議な怪異譚を集めた怪しい館。どうぞご遠慮なくドアをお開け下さい──。

踏切と少女 怪談青柳屋敷・別館
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好評『怪談青柳屋敷』に続く第二弾。表題作「踏切と少女」をはじめ、日常のふとした隙間に遭遇する奇妙でゾゾっとする体験談を聞き集めた実話怪談を63篇収録。さらに歪みを増した「怪談屋敷」、お好きなトビラからどうぞお入りください──。