■”バーカーかあちゃん”のあっけない最期
ギャングとの癒着やあまりの腐敗ぶりにFBIの追求がブラウン署長に及ぶと、彼と手を組んでいたバーカー・カーピス・ギャング団の背中にも司法の手が迫ってきた。もはやFBIの狩り場と化したセントポールを離れ、シカゴに逃げ延びた彼らだったが……。
1935年1月8日、シカゴで三男アーサーが逮捕されると、遠く2000キロ以上離れたフロリダ州中部のオクラワハに潜伏していたケイトと四男フレッドの隠れ家も発覚。
同年1月16日、隠れ家を急襲したFBIの捜査班に包囲されたケイトとフレッドは、投降を呼びかける捜査班の声に銃弾で応えると、数時間に渡る銃撃戦の末、射殺されてしまった。フレッドは蜂の巣にされていたが、なぜか、ケイトは致命傷となった一発の銃弾しか当たっていなかった。
さらに、死んだケイトの手には、ギャングの象徴であるドラム式弾倉を備えた短機関銃「トミーガン(トンプソン・サブマシンガン)」が握られていたという。また、彼らの隠れ家からは拳銃や機関銃など、物騒なものが山ほど押収され、まだまだ凶悪犯罪を繰り返そうとしていたことが見て取れる。
こうした逸話や「トミーガンを抱えた凶悪な母でギャングのボス」というイメージは強烈な印象を残し、後々、一人歩きするようになる──。
■あのレディー・ガガも女親分の曲を!?
「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマン監督の傑作映画「血まみれギャングママ」。
不良息子たちを率いる肝っ玉かあちゃん、という「マー・バーカー」のイメージは大衆に受け、映画「Ma Barker’s Killer Blood(マー・バーカーの殺人鬼)」(1960年)、「Bloody Mama(血まみれギャングママ)」(1970年)など、さまざまなポップカルチャーで描かれている。
1977年にはドイツのディスコバンド、ボニーMが彼女について歌ったシングル曲「Ma Baker」をヒットさせた(※2)。近年ではTikTokで使われ人気になったこの曲は、レディー・ガガがシングル「Poker Face」でサンプリングしたことでも知られている。
※2 権利関係の問題か、名前の綴りの「R」を抜いて「マー・ベイカー」と発音している。
■伝説のマ・バーカー「ざんねんな実像」?
ただ、彼女がギャング団のリーダーで犯罪を指揮した、というイメージはフィクションの中で数多く描かれたが、実際にリーダーだったという決定的な証拠は存在しないという。ギャング団が家族のフリをして(実際、家族なのだが……)、世間の目を逃れるために彼女を利用し、買い物や支払い、家事をこなすのが彼女の役割だった、という説もある。
事実、バーカー・カーピス・ギャング団の中心人物にして、最後の生き残りだったアルヴィン・カーピスは自叙伝やインタビューの中で、
「マーは、田舎育ちの昔ながらの家庭的なおばちゃんで、迷信深くて無邪気で……まあ、おおむね法律を守るタイプだったね」
「ギャング団のボスがマーだったなんてのは、犯罪史上もっとも馬鹿げた与太話さ」
「彼女は犯罪計画どころか、朝食の献立すら考えられなかったんだからな」
と語り、数々の伝説を否定し、彼女の人柄を偲んでいる。そして、前出のフーヴァー長官のマー・バーカー評は、何の罪もない老婆(=マー・バーカー)をFBIの捜査官が撃ち殺したことを正当化するための情報操作だと断じているのだ(実際、前出のコメントはマー・バーカーの死後、報道されている)。
犯罪者集団のメンバーにおいて求められる能力は統率力、肉体的な優位性であり、男性のほうが優位であるのは事実。実際、ギャング団を主導していたのはカーピスだったという説が濃厚で、「マー・バーカー」のような存在は、フィクションの中でだけ成立するのかもしれない。