■米艦隊を撤退させた幽霊艦隊

 

駆逐艦朝雲

キスカ撤退作戦に従事した駆逐艦朝雲。同艦の乗員が耳にしたのは──

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 まず有名なのが、キスカ撤退作戦のさなかに何人もの兵士が聞いた「アッツ島からの万歳三唱」の声だ。玉砕して無人のはずの島から、「万歳! 万歳!」と撤退作戦の成功を祝うような大歓声が響いたという。

 

 さらに、キスカ島上陸に向け島を包囲していたはずの米艦隊が、撤退作戦の29日に限って姿を消していた「奇跡」にも英霊たちの存在が囁かれた。というのも、作戦の直前に米軍は「幽霊艦隊」と戦い、29日には弾薬補給のため島の海域から後退していたのだ。

 

キスカ島を砲撃する米戦艦

「幽霊艦隊」と戦い弾薬を撃ち尽くした米海軍は一時撤退せざるを得なくなった

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 1943(昭和18)年7月26日、霧のかかったキスカ近海にて米艦隊のレーダーが日本艦隊を発見。すぐさま攻撃を開始し、数十分にわたって何百発もの砲弾を艦隊に降らせ、レーダー上の「敵」はひとつ残らず消え去った。

 

 ところが日本側の記録を見ると、この時期キスカ周辺で活動中の艦隊はいなかった。つまり、米艦隊のレーダーには「いるはずのない敵艦隊」が映っていたのだ。当時のレーダーはまだ性能が低く、故障や誤作動がしょっちゅうだった。このときも、レーダーが島影を戦艦と誤認したといわれている。

 

 だが、奇しくも作戦当日はアッツ島玉砕からちょうど2カ月後。万歳三唱が聞こえたという逸話とともに、「英霊たちが艦隊の姿を借り、救出のチャンスを作ってくれた」と考えても無理はないところだろう。

 

駆逐艦島風

海軍が誇る高速駆逐艦島風。奇跡の陰には総力を挙げた海軍の「覚悟」もあった

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「ペスト」で米軍大混乱の真相

 

キスカ島に上陸した米軍

もぬけの殻のキスカ島に上陸した米軍。この後、同士討ちの大混乱に……

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 こうした奇談のほかにも、キスカ上陸作戦には珍エピソードが残されている。

 

 米軍は7月31日から上陸を開始。もちろん日本軍は影も形もない。だが濃い霧のため、米上陸部隊は無人であるのに気づかず、味方を日本兵と見間違え同士討ちする羽目に。その結果、100名以上の戦死者を出し、捕虜にしたのは置き去りにされた犬数匹だけだった。

 

 しかも、上陸部隊は「ペスト患者収容所」を発見し大混乱に陥ったと、のちに文化勲章まで受賞した日本文学研究の権威、ドナルド・キーンが語っている。当時、上陸部隊に従軍していたキーンによれば、収容所の看板を翻訳した米軍はパニックになり、本国にワクチンを要請するほどの事態となった。

 

ドナルド・キーン

キスカ島攻略(コテージ作戦)に従軍していたドナルド・キーン

画像:Aurelio Asiain from Hirakata-shi, Osaka, Japan, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

 

 実はこれ日本海軍軍医のいたずらで、「ハッタリで米軍に一矢報いた日本軍」──という都市伝説が語られているが、どうもこれに限っては眉唾らしい。実際、米軍の公式記録には一切記述がなく、どうやらキーンが大げさに証言を盛った創作のようだ。

 

 とはいえ、太平洋戦争時の北方諸島は、さまざまな戦場奇談が飛び交う不可思議な島々だったのだ。

 

【参考資料】
『人道の将、樋口季一郎と木村昌福 アッツ島とキスカ島の戦い』将口泰浩(光人社NF文庫)
『満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断』早坂隆(文春新書)
『日本の怪奇話』藤本泰久(キジバト社)
『戦史叢書 第29巻 北島方面海軍作戦』防衛省・防衛研究所