■神様に無視されているような…

神在祭で重要な地となる「稲佐の浜」
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私は出雲大社の「神在祭(かみありさい)」に毎年通い続けて20年以上になります。「神在祭」は旧暦の10月に1週間行なわれ、八百万の神々が出雲へ集結して、私たちが全国の神社で願ったことを持ち寄って、その願いを来年叶えるかどうか、などを「神儀り(かむはかり≒会議)」すると言われています。
期間中は全国からたくさんの人が参拝に集まるため、宿泊場所も、飛行機も1年前から予約してもなかなか取れないほどの争奪戦になります。
それでも、きちんと神様に「今年も行きますのでよろしくお願いいたします」と前の年に出雲に行けたことや、願いごとが叶ったお礼の報告を神社でしていた私は、どんなに飛行機やホテルがいっぱいでも奇跡的に出雲に通えてきました。
それが、忙しさにかまけてお礼参りをしなかった年がありました。その年に限って、飛行機は取れない、ホテルもとれない。どんなに手を尽くしても、まったく手ごたえがない。何かに閉ざされ無視されているような感覚に陥りました。
■お礼参りしたらあれよあれよと
それでも「いや、そんなことはない、私は毎年なんとか行けてるから絶対に今年も行けるはず」と傲慢な心が出てきていました。慣れとは恐ろしいものです。
しかし、どんなに頑張っても手ごたえすらない。どうしよう…。と思ってた矢先に、はっと気づいたのです。「あ! 今年は御礼参りをしていない!!」と。
私はすぐに、一番近くの氏神様の神社へ行き、深い深いお詫びと、傲慢な自分を反省する気持ち、「遅くなりましたが」と昨年の御礼をお伝えしました。
すると、その日のうちに飛行機は1席だけ空席ができて取ることができ、ホテルもキャンセルが出たと連絡があったのです。あんなに頑張っても固い鉄の門扉があるように動かなかったことが、あれよあれよといううちに動き始めたのです。そして、晴れて「神在祭」に行くことができたのでした。
■神様は傲慢な人には厳しい

願いが叶ったときは近くの神社でいいので、まずはお礼のご報告を。
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神様は、とても心が広くて優しいのですが、ただそれだけではありません。傲慢になっていると、厳しい面を見せられます。
努力しているのに何かがうまくいかないときは、お礼を怠っていないか、義理を欠いていないか、我が身を振り返ってみるのもよいかもしれません。
お礼参りは、お願いをした神社でできればよいですが、必ずしも同じ神社でなくてはならないということはありません。地域の窓口の神様である近所の氏神様にお参りすることでお礼をお伝えいただけるので、やはり氏神神社を頼りにするのがよいでしょう。
とはいえ、「近所の神社はなんだか寂れていて怖い」あるいは「立派な神社なんだけど何かいやな感じが……」と、せっかく近くにあっても、近寄りがたい神社もありますよね。次回はそんな「お参りを避けたほうがいい神社」や参拝の際の基本的なマナーについてご紹介します。