■1998年、日本で目の当たりにしたIMF危機の悲哀

 帰国してからの私は、地元の洞事務所(町役場)主催のPC教室に通い、エクセルのバージョン8.0やインターネットの使い方を学んでいた。留学前にソウルの大学院で観光学の修士課程を修了してはいたが、博士課程を目指して勉強を再開するわけでも、就職活動を始めるわけでもなかった。この時点ではまだ今のような仕事をするとは夢にも思っていなかった。

 それどころか、私は楽しいことばかりだった日本が恋しくて、帰国して半年も経たぬうちに、のこのこ日本に遊びに行ったのだ。

 親や親戚の干渉も受けず、「結婚しろ!」とも言われず、バイト先の焼肉店で知り合った韓国人や日本人と飲み明かした日本での日々はまさに天国。なかなか忘れられるものではなかった。

 そんな私だが、滞在中、留学時代に通ったレストランバーを再訪したとき、思いがけずIMFを意識することになる。

 マスターが私の席に来て言う。

「チョンさん、あそこの席の男の子、韓国人留学生らしいんだけど、一人でワインをがぶ飲みしているんだよ。話聞いてあげてくれない?」

 今でこそ一人酒、一人メシが珍しくない我が国だが、当時は韓国人が一人で飲んでいたらよほどつらいことがあったのだろうと想像できた。

 二十代半ばくらいだろうか。ワインを一本空けた彼は、初対面の私に気後れすることもなく話し始めた。彼の話を要約すると、IMFで親が失職→留学生活中止→急きょ帰国するのだという。私は慰めの言葉を探したが、彼は突然立ち上がって店を出て行ってしまった。見ず知らずの人間に身の上話をしてしまったことが恥ずかしくなったのか、韓国語で思いの丈を吐き出してすっきりしたのか。

 恥ずかしながら、我が国で大変なことが起きていることを生々しく実感した初めてのできごとだった。あれから24年、彼はどうしているだろう。

IMF危機の約2年後、1999年末のソウル明洞
IMF危機の約2年半後、2000年夏の釜山・国際市場