日本の50代以上の人に、日本のバブル景気の頃の話を聞いたことがあるが、その答えはさまざまだった。

「会社からタクシーチケットがもらえたけど、肝心のタクシーがなかなかつかまらなくてね」「当時は二十歳の学生で、ミニスカート姿でタバコのイベントコンパニオンのバイトをしていました。時給は2000円でした」といったイメージ通りの話もある反面、「会社員になったばかりでまったく余裕がなく、景気がいいなんて実感できませんでした」「あれは不動産バブルだから、ウチの業界には関係なかったね」のような答えも少なくなかった。

 物事の見え方は、その視点によって大きく違う。

 今回は今人気の韓国ドラマNetflixシリーズ『二十五、二十一』でナム・ジュヒョクらが演じる登場人物たちの運命を左右した「IMF危機」(1997年のアジア通貨危機による韓国の経済危機)について、私の思い出をたどってみる。

■1997年11月、日本留学を終えて帰国したら……

 我が国がIMF危機に陥ったのは、私が日本での留学生活を終え、帰り支度をしていた1997年11月のことだった。

 年末に金浦空港に着くと、空港のテレビがIMFを連呼していたのは記憶しているが、海外留学から戻ったばかりで学生気分が抜けず、就職経験もない私は正直何が起きているのか、よくわかっていなかった。

 当時、すべての面で我が国の先を行っていた日本での暮らしの高揚感に水を差す事態から、目をそらしたかったのかもしれない。

 そもそも私は留学前、姉夫婦の家に住まわせてもらっていて、情けないことに帰国後も居候を継続するつもりでいた。義兄は教育部(日本でいう文部科学省)勤務だったので、不況とは無縁だった。しかも金大中政権の誕生で、全羅南道出身の彼は前途洋々といってもいい立場だった。家の中はIMFの逆風どころかむしろ追い風が吹いていたので、社会的な危機感には鈍感だったのである。

IMF危機の約2年後、1999年末のソウル仁寺洞