■『チャングム』『七日の王妃』『師任堂』に登場する国王、中宗はどんな人物だったのか?
朝鮮王朝第11代王・中宗(チュンジョン)といえば、古くは『宮廷女官 チャングムの誓い』でチャングムを王の主治医にした人物、『七日の王妃』では、ヨン・ウジンが演じるイ・ヨク=晋城大君(チンソンテグン)、その人だ。劇中でのイ・ヨクは、時の暴君・燕山君(ヨンサングン:ヨクの異母兄。第10代王)に対し、自ら立ち上がる男として描かれているが、どうも実際は違うようで……。
記録によれば、中宗反正(チュンジョンパンジョン:反正とは間違いを正すという意味)と呼ばれるクーデターの当日。首謀者たちが晋城大君を警護するための人員を邸宅に送ったところ、ヨクは「自分を殺しに来た」と早とちり。自ら命を絶とうとするのを、妻シン氏、のちの端敬王后(タンギョンワンフ)が止めたのだとか。
図らずも18歳で王位についたヨクは、燕山君時代の間違いを改めようと、父・成宗(ソンジョン:第9代王)の崇儒政策を志す。しかし、しょせんは担がれた王。クーデター功臣たちの顔色を伺う日々が続き、主導権を握ることができなかった。そこで彼は、功臣を牽制するため、新興勢力・士林派(サリムパ:道徳を重んじる派閥)の趙光祖(チョ・グァンジョ)を起用しする。だが、その急進的な改革や徹底した儒教政治に嫌気が……。
すると今度は功臣たちの意見にしたがって趙光祖率いる士林派を一掃。そうかと思えば功臣の重臣を罷免すると、どっちつかずの政治を続けた。
一方、2番目の王妃(第12代王・仁宗〈インジョン〉の母)、3番目の王妃(第13代・明宗〈ミョンジョン〉の母)の外戚たちの権力争いも激化し、政局は常に大混乱。不安定な社会が続くなが58歳でその生涯を閉じた。