■半地下暮らしがスタート

 半地下ワンルームでの生活は、最初は快適に思えた。というのも、それまで「ハスク」というトイレ・シャワー共同の学生向け住居で暮らしていたからだ。

 しかし、1週間もすると、いろんなことが気になりはじめた。まず部屋が異様なまでに暗かった。窓はあるものの、北向きだったため、陽が差すことはなく、朝起きてから夜寝るまで、常に電気をつけて暮らしていた。また、半分とはいえ、地下室のため、部屋の中はいつもジメッとしていて、部屋干しの洗濯物は常に湿っぽかった。

 何より悩まされたのは、外から入ってくるチリやホコリ。半地下の窓から外をのぞくと、目の高さはちょうど地面と同じ位置。つまり、換気のためにと開けた窓からは、外気とともに地面の粉塵も部屋の中に入ってきてしまう。床の拭き掃除をすると雑巾はいつも薄黒く汚れ、鼻は常にムズムズしていた。

 こうした不便さを感じていたある日、日本人留学生の友人にある事件が起こった。同じく半地下で暮らしていた彼女が、部屋でくつろいでいた時のこと。急に得体の知れない違和感を覚え、部屋を見回したら、知らない人がしゃがんでこちらをのぞき込んでいたという。あまりの驚きと恐怖で、声を上げることもできなかったと、興奮した様子で電話をしてきた。電話を切った後、私はいい言い表せない不快感に襲われ、しばらく何も手につかなかった。

 この日を境に、私は部屋がジメジメしていようが、空気がよどんでいようが、窓を開けることを一切やめた。そして、保証金を融通してくれた大家さんには申し訳なかったが、一カ月で退居し、別の家に引っ越した。

 半地下のことをもっと調べてから入居していたら、もう少しうまく暮らせたのかもしれないが、なんの予備知識もなく飛び込んだ半地下は、大変なことが多かった。それでも、半地下生活で一番記憶に残っているのは、こうした苦労よりも、窓から見えた風景のほうかもしれない。

 目の高さが少し変わっただけで、通りを行き交う人々や道端に生えた雑草は少し大きく見え、自分がいるところとは別世界のように映った。窓の外の景色をあんな風に感じることは、もうこの先無いんじゃないかと思う。

 先述した通り、建築法が改定され、半地下住宅を備えた建物は建設できなくなった。また現存の半地下住宅は、国や自治体が買い入れを進めている。なぜなら、大雨による水害が後を絶たないからだ。

 映画『パラサイト 半地下の家族』でも、主人公の家が洪水の被害に遭う場面が登場するが、あれは映画の中だけの話ではない。わずか数年前にも豪雨による浸水で、半地下で暮らしていた住民が死亡するという悲しい出来事があった。

 半地下の内見に行った日、大家さんは私を見るなり「このヴィラは立地的に、大雨が降っても雨粒が一滴も入らないから安心して」と、流暢な日本語で言った。「一滴」をやけに強調するものだから、私は内心おおげさだなと思いながら、「そうですか」と軽く受け流した。今思うと、大家さんは命にかかわる重要なことを告げてくれていたのだと、「一滴」が今ごろになって心にしみている。