Netflix大人気作『暴君のシェフ』終盤の第11話と第12話は、国王イ・ホン(イ・チェミン)が廃位になる過程が描かれていたが、歴史上のモデルとなっていた燕山君(ヨンサングン)の追放劇を知ると、ドラマをさらに臨場感を持って見られるだろう。そこで、当時の大騒動を振り返ってみよう。(以下、一部ネタバレを含みます)
■『暴君のシェフ』王のモデル、朝鮮王朝10代王・燕山君は史実ではどうなったのか
10代王・燕山君の非道な政治が続き、彼に恨みを抱く者が多かった。その中で、朝鮮王朝の要職に就いていた朴元宗(パク・ウォンジョン)、成希顔(ソン・ヒアン)、柳順汀(ユ・スンジョン)という3人が中心になってクーデターが計画された。
1506年9月、早朝にクーデター軍が王宮の中に侵入すると、護衛の兵士たちは塀を乗り越えて逃げ出した。
宮中には、からだを張って暴君を守ろうとする人はいなかった。見放された燕山君はブルブルと震えているばかりだった。
朴元宗は、燕山君に対して、国璽(こくじ)を差し出すように求めた。この国璽は国王であることを証明する印だ。それを差し出した瞬間に、燕山君の廃位が決まった。
朴元宗は慈順(チャスン)大妃のもとに向かった。この大妃は、9代王・成宗(ソンジョン)の正室だった貞顕(チョンヒョン)王后のことだ。燕山君の母・尹(ユン)氏が仁粋(インス)大妃の強権によって廃妃になったあとに成宗の妻になった。1488年には王子の晋城大君(チンソンデグン)を産んでいた。
朴元宗は、晋城大君に次の王位に就いてほしいと懇願したが、慈順大妃は難色を示した。我が子がクーデターによって面倒なことに巻き込まれることを心配したのだ。このときに晋城大君は18歳。クーデター派は慈順大妃を説得して、ようやく許可を得ることができた。すかさず、柳順汀が晋城大君の屋敷に向かった。
事情を知った晋城大君は王位を受け継ぐことを拒絶した。彼は、異母兄の燕山君の廃位後に自分が王位を継ぐと、歴史上で悪者になってしまうことを危惧した。
柳順汀は辛抱強く説得を続けた。晋城大君が受諾しなければ、クーデターが失敗してしまう。それだけに、柳順汀も必死だった。