■『怪談青柳屋敷』は“律儀な”怪談?
──今回の『怪談青柳屋敷』、吉田さんはどんな印象を抱かれました?
吉田:よかった、このまま本の話をしないで終わるのかなって心配してたので(笑)。やっぱり、読みやすいのはもちろんですが、新鮮でしたね。われわれとは書き方が違うんで。
青柳:新鮮? というと?
吉田:実話怪談はよくも悪くもいくつかの「定型」があります。また読者、実話怪談をよく読む人とのある種の共犯関係というか「ここは書かなくてもわかるよね」というところ、われわれ書き手が無意識にすっ飛ばすところもありますが、そこもきっちり書いていて。そういう意味でも定型から外れているというか。
青柳:いま言われてハッとしたんですが、たとえば、具体的にはどの辺ですかね?
吉田:たとえば、金縛りとか霊能者といった言葉をあまり使わないんですよね。たとえ体験者がそう語ったとしても、イメージが固定化されたり、書き手が意図しない方向に勘繰られたりするので。でも、青柳さんはその辺も体験者さんが語ったとおりきっちり書いている。そういう意味で、誠実だし、いい意味で理知的なというか……律儀ですよね。
青柳:律儀(笑)。その感想は予想してなかった。でも吉田さんが「定型」とおっしゃいましたが、実話怪談ってやっばり独特のリズムがあるな、というのは意識していました。ただ、そのスタイルが絶対ではないし、違うようにしようかなとも考えていましたね。
吉田:そういう律儀さは、わたしたち怪談作家が見失っている点というか(笑)。先ほど共犯関係と言いましたけど、金縛りや霊能者って言葉が出てくるのを好まない読者や怪談マニアの方も多いので、私たちはある程度そういうお客さんにも合わせていく。ただ、やっぱり、青柳さんはミステリ作家というスタンスがあるし、ちょっと立ち位置が違うというか。とはいえ、その律儀なところは、たぶん怪談好きの読者も納得してくれると思いますよ。
■怪談とミステリはコインの裏表?
─ミステリ作家としてのスタンスとか、怪談とミステリという比較について青柳さんの中ではどういう違いを感じていますか?
青柳:怪談ってミステリと違って、不思議を不思議のまま終わらせていいのが心地いいというか、魅力なんですよね。僕はミステリが仕事だから、どうしても話やオチ、ロジックをちゃんと作らなければいけないんだけど、怪談はポッと終わらせていいじゃないですか。
吉田:そうですね。われわれみたいに十何年と怪談をやってきていると、最初のうちは「不思議は不思議のまま終わらせていいんだ」と意識しているけど、そのうちロジックがないことすら忘れてしまっていると(笑)。怪談のある種のロジックの無さは意識されているんですか?
青柳:そうですね。僕、島田秀平さんのYouTube(注3)が好きでよく見ているんですけど、あれは色々な人が怪談の考察をする面白さももちろんあるんだけど、正解を出さなくていいじゃないですか。そういう怪談を巡るロジックの無さというか正解を出さなくていい心地良さは意識していますね。
吉田:考察ということでいえば、たぶん、ヱヴァンゲリヲンに始まる流れと思いますが、作り手側がわざと考察をさせるような余地を残す物語の作り方がありますよね。その点で、怪談も意識的にそう作るか、そもそも答えがないかは別として、そうした考察する余地は魅力でもありますよね。そもそも本当に正解があったら考察が楽しめないですし。
青柳:みんなで考察を楽しむという点では、ネット怪談もまさにそんな感じですよね。
吉田:そうですね。「くねくね」(注4)なんて考察そのものが怪談みたいな。
青柳:そういう余地を残したままというか、答えを出さずに物語を終える良さはありますね。だからミステリを書く時と怪談を書く時では、意識的に脳をスイッチしている感じですね。
吉田:そう、物語としては結末、解決があっても、なぜ、その現象が起きてそういう体験をしたかは解明できないのが怪談の面白さで。逆に、モルグ街の殺人とか金田一シリーズとか、江戸川乱歩とか、どんなに怪奇でオカルト風でも解決される面白さがミステリですよね。
青柳:同じ不思議を描くにしても、ミステリは答えを書かなくちゃいけない。しかも、それが犯人にとっても最善の方法じゃないといけない。そういうことを考えるのが仕事だとつらいなと思う時も……(笑)。その点、怪談は不思議を不思議のまま書けるというのがね。
吉田:同じ不思議を書いているという点では、実話怪談とミステリってコインの裏表ですよね。不思議というものに解決を求めるか否かでは正反対だけど、同じコインではある。近代怪談とミステリって、たぶん同じ頃に生まれて離れていった兄弟みたいなものかもしれませんね。
注3/芸人、占い師、怪談や都市伝説の語り手としても知られる島田秀平の公式チャンネル「島田秀平のお怪談巡り」(なお、サブチャンネルに「島田秀平のお開運巡り」も)
注4/2003年頃からネットを中心に広まった怪談、いわゆる「ネット怪談」あるいは「ネットロア」の代表的なもの。始まりは「田んぼの中に現れ、見たものを狂気に落とし込むくねくね動く謎の存在」の目撃談だが、ネット上で考察が重ねられ怪談が重層化していくことに。
「そもそも実話怪談とは?」「小説と怪談」など怪談の魅力を巡り白熱する対談は【第3回/6月7日公開】に続く!
1980年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。2009年『浜村渚の計算ノート』で第3回「講談社Birth」小説部門を受賞してデビュー。19年刊行の『むかしむかしあるところに、死体がありました。』は多くの年間ミステリーランキングに入り、本屋大賞にノミネート。『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』は23年9月にNETFLIXで映画公開が決定している。「猫河原家の人びと」シリーズをはじめ多数のシリーズ作品のほか、『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』、『クワトロ・フォルマッジ』など著書多数。
1980年東京都生まれ。怪談作家、怪談研究家。早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、怪談の蒐集と語り、さらにはオカルト全般の研究をライフワークとしている。伝説的なオカルトスポット探訪マガジン『怪処』の刊行や、「クレイジージャーニー」(TBS)では日本の禁足地を案内するほか、月刊ムーでの連載やYouTubeなど各メディアで活動中。著作に『中央線怪談』、『現代怪談考』、『一生忘れない怖い話の語り方』、『禁足地巡礼』、『一行怪談』、『煙鳥怪奇録』(共著)など多数。