■獣害事件を起こしたヒグマの特異な性質

事件現場の八ノ沢カール。写真奥の斜面でリーダーのAは襲われたと考えられる。

画像:Highten31, CC BY-SA 3.0 >, via Wikimedia Commons

 3人が犠牲になった事件の翌月に書かれた「福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件報告書」(以下、「報告書」と記す)には明記されていないが、1984年に制作された、地元、北海道放送のドキュメンタリー番組(注1)では事件を起こしたヒグマの特異な性質が明かされている。
注1/『福岡大ワンゲル部羆事件ドキュメント』(北海道放送)

 

 最初にヒグマはテントの外に置かれていたザックの中に入っていた食料を狙った。食料は、すなわちヒグマの獲物である。福岡大ワンゲル部(注2)の5人は、いったんヒグマが立ち去った後、食料をテントに入れた。これにより、ヒグマは「獲物を盗られた」ととらえ、ワンゲル部の5人を敵だと認識する。

注2/正しくは「同好会」だが、記事中では報告書の記述に従い「ワンゲル部」で統一する。

 

 次にヒグマが出現した際、全員が走って逃げている。今でこそ、ヒグマと遭遇した場合、目をそらさずに見つめ、しばらくしてからその状態で後ずさることが常識だとされている。しかし、事件が起こった1970年当時、ヒグマとの遭遇を想定していなかった5人にその知識はなかっただろう。

 

■夏場は痩せているはずのヒグマがなぜか……

 さらに、彼らを襲ったヒグマは雌で推定年齢が満3歳6カ月程度、心理的に不安定な時期であり、若さから動きが活発だと前掲のドキュメンタリー番組の中で専門家が語っている。また、個体によっては火も音も怖がらない場合があることも明かされている。

 

 福岡大ワンゲル部の報告書は、通常のクマの習性を考えると部員5名を襲撃するような行動はとらないはずだという考え方が伝わってくるが、事件から14年経ち、北海道放送が同番組を制作した時には、人間のヒグマに対する知識は当時より広がっていたのではないだろうか。

 

 また、放送局が日本で唯一ヒグマの生息する北海道にあったことも大きいように感じられる。もちろん、これはあくまでも私の推測であり、報告書が貴重な資料であることには変わりない。

 

 ただ、それを踏まえても謎は残る。通常は痩せている夏のヒグマが肥えている……少なくとも食料には困っていなかったはずで、食料として彼らを狙ったわけではなさそうだ。やはり自分の食料を奪った敵として見なしていたのだろう。

 

■人間を恐れるどころか執拗に攻撃を繰り返す特異性

なぜ、彼らを襲ったヒグマはこれほどの執拗さと攻撃性を見せたのか?

(写真はイメージ) 画像:o-den

 それにしても、あまりにも執拗だ。

 

 前回の記事で説明したように、Bはテントの中でメモを記していた27日の早朝から少なくとも1日近くは生き延びていた。すでにCとAを手にかけ、ヒグマにとっては「逃してしまった」と言える佐藤と高橋が姿を消したあとも、Bを追いかけていたということになる。その執拗さは若さゆえの性格なのだろうか。

 

 当時、日高山脈には多くのヒグマが生息していた。そもそもなぜ人間のいるテントに近寄ったのだろうか。ここにもっとも大きな謎がある。


 ヒグマは雑食であり、基本的に人間を怖がるのは多くの人が知っている事実だろう。山で獲れる餌を食べて肥えたヒグマなら、わざわざ人間に近寄る可能性は低い。ましてや、ヒグマは3人に飛び掛かり、引きずっていって命を奪ったとされる。詳細はひかえるが、3人とも、あまりにも無残な遺体で発見されたことが報告書に記されている。この対象に対する異常な攻撃性も、襲撃した個体の特異なところだ。

 

 そもそも、ヒグマの一般的な大きさは約2メートルだという。3人を襲ったヒグマの剥製を見ると、報告書にある「肥えている」と矛盾するかのように、通常より小さい印象を受ける。そんな骨格的には小柄な雌のヒグマにとって、若い男性5人の集団は脅威ではなかったのだろうか?