■生爪剥がされ髪を抜かれ天界を追放
アマテラスが天岩戸(あまのいわと)から出てきて、世界には平和が戻った(そのトンデモない経緯は前回記事参照)。問題はスサノオの処遇だ。
「あんなヤツ、殺してしまえばいいのよ!」
あれだけかばっていたのはどこへやら(第4回中編参照)、気性の荒いアマテラスは、それくらいのことを考えたであろう。だが、スサノオはアマテラスの弟神である。しかも乱暴者の大男。だれが手を下せるというのだろう。
「そこまですることは……」
高天原(たかまがはら)の神々は、そう言ってアマテラスをなだめたかもしれない。とはいえ、このままスサノオを許してとどめておけば、また何をしでかすかわからない。
「ここは、地上へ追放ということで」
「ふん、しかたないわね。でも、ただ追い払うだけじゃ、わたしの気はすまないわよ」
そこでスサノオは、ひげと手足の爪を切って地上へと降ろされた―─。
と、これは『古事記』の描写だ。『日本書紀』では「髪と手足の爪を抜いて」とある。ひげと爪を切るだけでは、ただサッパリと身づくろいさせただけだ。罪をつぐなうという意味では、「引き抜いた」とする方が正解だろう。
■兄神ツクヨミと同じく食料の女神を斬殺
頭に毛はなく、手の爪も足の爪もはがされたスサノオは、大宜都比売(おほげつひめ)という女神のところに行って食料を求める。心やさしいオホゲツヒメは、鼻や口、お尻の穴から食材を取り出して料理をする。だが、スサノオは感謝するどころか、激怒しはじめた。
「オレにそんな趣味はない!」
とばかりに、オホゲツヒメを殺してしまった。
この場面は『古事記』に記されているものの『日本書紀』にはない。ただ第三回で紹介したように、『日本書紀』にはツクヨミのエピソードとして同じような話が登場する。
「吐いたもん食わせんな!」とブチ切れたツクヨミは「咀嚼(そしゃく)マニア」でなかったし、スサノオも田んぼで盛大に脱糞したくせに「スカトロジスト」ではなかった。あわれなのはツクヨミに斬殺された保食神(うけもちのかみ)であり、スサノオに殺されたオホゲツヒメである。
ただ、足に爪のない状態では踏ん張りが聞かず、手の爪がなければ剣を握ることもむずかしい。ということは、この「オホゲツヒメ斬殺事件」を起こした時には、すでに爪が生えそろっていたことはたしかだ。二つに裂けば二匹になるプラナリアとまではいわないが、その再生能力は、さすが神様である。
■地上に降りたスサノオが遭遇したのは…
高天原を追放されるぐらい乱暴狼藉を働き、最後の最後まで女神に難癖をつけて殺してしまうという悪行をはたらいたスサノオだが、地上に降りると一転して英雄的な活動が目立つ。それが「八岐大蛇(やまたのおろち)退治」の神話である。
高天原、つまり天界から地上世界へと追放されたスサノオが降り立ったのは、出雲国(いずものくに)の肥河(ひのかわ)の上流にある鳥髪(とりかみ)。肥河は現在の島根県・出雲平野を流れる斐伊川(ひいがわ)であり、鳥髪はその源流部、鳥取県と島根県の県境にそびえる船通山(せんつうざん)のふもとである。
そこでスサノオは、老夫婦が若い娘を間において泣いているのを見る。
「ええい! うっとうしい!」
いままでのスサノオなら、そういって斬り殺したかもしれない。だが、すでに改心していたのか、スサノオはやさしく声をかけて事情をたずねる。するとおじいさんは「わたしの名はアシナヅチ、妻はテナヅチ、娘はクシナダヒメと申します」と話しはじめた──。