■次々と批判が殺到、そして・・・
全世界に『ユダヤ賢者の議定書』が一気に広まった1920年だが、一方で、「議定書」が偽書だと指摘する声が数多く上がったのもこの年だった。きっかけとなったのは、ユダヤ系イギリス人の外交官でジャーナリストのルシエン・ウォルフが、それまでに新聞・雑誌で執筆してきたものをまとめて刊行した著書内での指摘だ。
大手新聞社の「タイムズ」も、それまで「議定書」の内容に乗じてユダヤ禍の危険性を報じていたが、1921年にはウォルフの批判を受けて方向を転換。「議定書」は1864年にフランスで出版された『マキャベリとモンテスキューの地獄での会話』を盗用したものだと暴露した。
当時の記事によれば、ナポレオン三世を批判するこの書の「フランス」を「世界」、「ナポレオン三世」を「ユダヤ」に変えてから、多少の変更を加えて作られたのだったという。これは、タイムズの記事を担当した記者が実際に大英図書館の現物と比較して検証している。
また、これから少し後になるが、1927年に在米ユダヤ人団体の抗議と訴訟を受けてフォードが『国際ユダヤ人』を回収処分。こうして、欧米圏では「議定書」を偽書と断定したのだ。
■捏造の犯人は「ロシア帝国秘密警察」
この書が偽書だとしたら、誰が捏造したのか? これまで多くの研究者が「真犯人」を追い求めてきたが、なかでも最有力の容疑者とされるのは「ロシア帝国秘密警察(オフラーナ)」のパリ支部部長だ。
この危険な書を捏造した理由は「ユダヤ人をロシア皇帝への不満を逸らすスケープゴートにするため」、もしくは上司の政敵であるエリ・ド・シオンという政治家兼ジャーナリストに罪を擦り付ける狙いがあったともいう。シオンはユダヤ系ロシア人であり、彼が「議定書」を執筆したとでっち上げたのだ。
また、「議定書」を世界中に蔓延させるきっかけを作った、いわば捏造の共犯者といえる「ズナミヤ」の編集者、P・A・クルシェヴァンは、そもそもが「黒百人組」という過激派反ユダヤ主義者のメンバーだった。しかも、記事執筆の数ヵ月前の1903年4月に、死者49人、重軽傷者数百人を出すユダヤ人への暴動を扇動しているのだ。
■偽書で煽動された迫害と虐殺
このように、偽書と断定された「議定書」だったが、その影響は計り知れなかった。公表された「議定書」は、彼のような反ユダヤ主義者を焚きつけ、ロシア各地で「ポグロム(ユダヤ人への集団迫害)」(注2)を引き起こしたのだ。
注2/ロシア語で「破滅」や「破壊」の意味で、ユダヤ人に対する集団迫害・虐殺を指す。19世紀初頭からたびたび起こった。
しかも、ロシア帝国政府はこの書を否定するどころか、積極的に利用した。当時は1905年の日露戦争での敗北、第一次ロシア革命などで、国民の不満が高まっていた。支配者層や右翼団体は国内の不満を反らすため、「プロトコル」を証拠に自由主義、共産主義、反帝国主義はみんなユダヤの陰謀だと信じ込ませようとした。それによってボグロムは激しさを増し、ロシア帝国内だけで5万人以上の被害者を出すことになる(注3)。
注3/なお、当時はロシア帝国領内だったリヴィウなど現在のウクライナでもかなりの数の犠牲者が出ている。
さらに、この書を虐殺に利用したのがアドルフ・ヒトラーだ。実はヒトラー自身は「議定書」について、本物とも偽書とも認めていなかったというが、内容はユダヤ人の実態を説明しているとして、600万人以上のユダヤ人を虐殺した「ホロコースト」の口実のひとつとしている。
さらに現代でも、「シオン賢者の議定書」の唱える“ユダヤの陰謀”を信じ込み、ユダヤ攻撃の根拠とする人もいるという。1冊の偽書が120年以上たったいまも、「陰謀論の聖典」としてもてはやされているのである。
『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』大田俊寛(筑摩書房)
『トンデモ本の世界』と学会編(洋泉社)
『ユダヤ人と世界革命 シオンの議定書』永淵一郎(新人物往来社)
『偽史冒険世界―カルト本の百年』長山靖生(筑摩書房)