大の怪談好きが高じて、取材をもとにした実話怪談集『踏切と少女 怪談青柳屋敷・別館』(双葉文庫)を上梓したミステリ作家の青柳碧人さんと、人気若手怪談師・チビル松村さんのスペシャル対談企画。第2回ではチビルさんが怪談を始めたきっかけや、お二人の恐怖実体験など気になるエピソードが満載。チビルさんが現在住んでいるという事故物件の話題まで飛び出した、怪談ファン必読のトークをお届けします。
取材・文=朝宮運河 撮影=宮本賢一
■怪談語りのきっかけは人志松本?
青柳碧人(以下・青柳) そもそもチビルさんはなぜ怪談をやろうと思ったんですか。
チビル松村(以下・松村) 小さい時からその手のものが好きだったに加えて、ホラーが盛り上がっていた時代に思春期がちょうどぶつかったんです。10代の頃に洒落怖(※1)が話題になって、クラスの女子がしている怪談がほぼ洒落怖からのパクリという体験をしている世代(笑)。芸人さんがラフな感じで怪談を語る『人志松本のゾッとする話』(※2)にも衝撃を受けました。自分も怪談を語ろうと思ったのは、『ゾッとする話』の影響が大きいです。
※1「くねくね」「リゾートバイト」「シシノケ」など数々の名作を生んだ2chオカルト板のスレッド「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?」の略称。
※2フジテレビ系『人志松本のすべらない話』のスピンオフとして2009年に放送されたトーク番組。心霊だけでなくヒトコワ系も多かった。
青柳 それは何歳くらい?
松村 16、7ですね。そのタイミングで決定的な体験をするんです。Hっていう実家が工場をやっている同級生がいたんですけど、その工場に幽霊が出るらしいんですよ。子どもが走り回る足音がするというので、霊能者を呼んでお祓いしたそうですが、そのうちHのお母さんが車を運転していたら、カーナビの画面が突然乱れて、まったく知らない土地を目的地に設定し出したという。
その画面の写真をHが見せてくれたんですが、「葬山」という山に目的地のピンが立っている。でもいくら検索しても、そんな地名は出てこないんですよ。こういう現象って本当にあるんだ、と常識がひっくり返るほどの衝撃を受けて。それまでは怪談を見聞きしても他人事だったんですが、この世には本当に不思議なことがあるのかな、と思った出来事でした。
■チビル松村は社内用の芸名だった!?
青柳 チビルさん、確かご出身は石川県ですよね。
松村 そうです。美大に入学して、稲川淳二さん(※3)とかいたこ28号さん(※4)とかの怪談をエンドレスで聴きながら、大学の課題の作業をしていました。その後、デザイナーとして今の会社に就職するんですが、怪談好きだとあちこちで公言していたら、「そんなに好きなら会社が制作しているラジオに出演してみない?」と言われて。チビル松村という芸名もその時についたんですよ。
※3 今さら言うまでもなく怪談界のレジェンドにして、90年代初頭から77歳を迎えた今も現役で怪談ライブを続けている。
※4 または北極ジロ。現在の怪談ブーム黎明期から活躍する怪談師にして「怪談ソムリエ」
青柳 社内用の芸名だったんですか(笑)
松村 会社で「怪談師」といじられるようになって、これはちゃんと舞台に立っていないと恥ずかしいなとOKOWA(※5)に応募したんです。上位にはいけませんでしたが、そこで注目していただいて今にいたる、という感じですね。
※5 松原タニシ氏を発起人に2018年から開催された「最怖」を決める怪談チャンピオンシップ。
青柳 今はかなりお忙しいですよね。ほぼ毎週どこかの怪談イベントに呼ばれている。
松村 おかげさまであちこち呼んでもらえるようになって。今は受けられる仕事は全部受けようと思っています。会社の残業をせずにイベントに出ているので、収入的には明らかにマイナスなんですけど(笑)、怪談師としての知名度が上がるとその分、取材がしやすくなるので。