■異形のモノの怨念を封じた塚も

 

神武天皇
神武天皇の東征を描いた月岡芳年の錦絵。左側に描かれているのが土蜘蛛と呼ばれた人々? 画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 拝殿から向かって右にあるのが蜘蛛塚(くもづか)だ。ここには、土蜘蛛の身体の一部が埋められているという。土蜘蛛とは古代史上で「異形のもの」として描かれた存在だが、実際にはヤマト王権に反抗した豪族のこととされ、『日本書紀』には神武天皇が日向国(宮崎県)から大和国(奈良県)に着いて即位する2年前、土蜘蛛を征伐してこの地に埋めたとする。

 

 このとき土蜘蛛の怨念が復活しないよう、頭と胴体、足が別々に埋められた。拝殿横の蜘蛛塚はその1つであり、参道の二の鳥居の脇にも蜘蛛塚がある。なお、「葛城」という地名は、神武天皇の皇軍が葛の蔓(かずらのつる)でつくった網を覆いかぶせて土蜘蛛を捕らえたことが由来だとする。

 

 

土蜘蛛

後に妖怪として描かれた「土蜘蛛」。実際には雄略天皇が征服した豪族「葛城氏」とのかかわりもあったのでは?

画像:ブリガムヤング大学所蔵, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 

 蜘蛛塚の奥にあるのは、長寿と健脚、認知症予防を祈願する「至福の像」。老夫婦の姿がほほえましい。さらに奥には葛城山から出土したとされる宝来石があって、摂末社の祠がならぶ。祠の前に建てられているのが雄略天皇像だ。

 

 冒頭に記したように、雄略天皇は葛城一言主神社と縁の深い天皇であり、現在は一言主之大神と並ぶ祭神の1柱でもある。そんな天皇を顕彰すべく、立像は2020年に建立された。

 

 境内から階段を降り、第1駐車場方向に行くと亀石。飛鳥時代の行者である役小角(えんのおずぬ=役行者)が災いをもたらす黒蛇を退治し、その上に亀の形をした石を置いたと伝わる。

 

 

■御所駅から続く葛城古道を辿る

 

葛城古道
古の面影を残す「葛城古未知」。

 緑が豊かで、参拝を終えるとすがすがしい気分に満たされる葛城一言主神社。ただ、難点といえるのが交通アクセスだ。

 

 鉄道の最寄り駅は近鉄・JRの御所駅だが、徒歩で約55分かかる。奈良交通バスを使っても宮戸橋バス停から徒歩約30分。御所市のコミュニティバスなら森脇もしくは豊田のバス停から約10分だが、運行本数は1時間1本以下しかない。

 

 ただ、御所駅から神社までの経路は「葛城古道(かつらぎこどう)」といい、日本を代表する古道のひとつ。道中には日本有数の大怨霊と恐れられた早良親王の御霊を祀る崇道神社鴨山口神社駒形大重神社といった神社のほかに、住宅街の坂道を塞ぐ巨石「六地蔵石仏」、千体石仏と称される多数の石仏がある九品寺など、見どころは多い。

 

九品寺
千体仏と呼ばれる石仏群が残る九品寺。

 

 九品寺近くの田畑の中には「番水の時計」がぽつんと立っていて、これは用水路から各水田へ、決まった時間に取水するためのもの。時刻に合わせて用水路の流れを変え、公平に水が流れ込むようにしているのだ。

 

さらに歩けば、イノシシよけのフェンスを越えて第2代綏靖(すいぜい)天皇の皇居跡とされる「高丘宮跡」へ。ただし、綏靖天皇はあくまで伝説上の存在で実在しないというのが通説だ。

 

 田畑が広がり、山なみが続き、小川が流れる。そんな、日本の原風景ともいえる古道を歩いて山麓に鎮座する神社に参るという、贅沢ともいえる道程を楽しんでいただきたい。