日本軍が隠ぺいした東南海地震

 

昭和東南海地震の被害状況

昭和東南海地震による被災地(三重県尾鷲町)。続発した三河地震と合わせ死者4000人を超える被害となったが、戦局への影響を恐れ、軍部により情報は隠ぺいされた。

画像:内閣府, CC BY 4.0 , via Wikimedia Commons

 1944年12月7日、紀伊半島の東部から三河湾の沿岸部にかけて巨大地震が襲った。その規模はマグニチュード7.9。関東大震災とほぼ同じだった。

 

 南海トラフ近辺で発生した地震は、今では「昭和東南海地震」と呼ばれている。さらに翌年の1945年1月12月には、またも三河湾沖でマグニチュード6.8の大地震が起こっている(三河地震)。

 

 戦時下なので被害の詳細は隠されていたが、死者は昭和東南海地震で1200人以上三河地震は3000人を超えるとされる。二度の巨大地震で東海地方の工業地域は壊滅的被害を受け、ただでさえ空襲で破壊されていた日本の工業力は大打撃を受けた。

 

 

■地震後の米軍の奇妙な動き

 

土屋嘉男
後にゴジラシリーズなど特撮映画でも活躍する俳優・土屋嘉男。若き日に被災地でビラを拾っていたと証言する。 画像:Public Domain via Wikimedia Commons

 興味深いのは、この時のアメリカ軍の動きだ。昭和東南海地震から6日後の12月13日には、早くも名古屋一帯に大規模な空襲を行なっている。それも、地震が起きた地域を念入りに……。

 

 地震当時、医学生として被災地にいた俳優の土屋嘉男は、地震当日にB-29がバラまいた、こんなビラを拾ったと証言している。

 

「地震の次はなにをお見舞いしようか」

 

 ビラに書かれていたのは、まるでアメリカが地震を起こしたかのような文面だった。

 

 

人工地震は本当にウソなのか?

 

人工地震のイメージ

日本の戦力を削るため、米軍が人工地震を起こした?

(写真はイメージ)画像:AdobeStock

 実は、米軍が実際に人工地震の研究をしていたとの報告もある。

 

 中央情報局(CIA)の前身である戦略情報局(OSS)の報告書「日本本土に対する地震心理戦計画」によると、超強力な爆薬による地震の発生は実際に可能とされていた。さらには、1944年にカリフォルニア大学の研究者を集めて、日本近海での地震発生と津波のシミュレーションをしていたといわれている。

 

 また、東西冷戦時代には米ソの地下核実験で弱い地震が幾度か起き、北朝鮮の核実験でも弱めの揺れが観測されている。これも一応は人工地震と言える。さらに日本でも1984年3月に神奈川県小田原市内で行なわれた地下爆破実験で震度4の人工地震が発生した事例がある。

 

 つまり、人工地震という現象そのものはまったくのウソではない。発生させられる規模が小さすぎて兵器としては使えないだけだ。

 

 ただし、これはあくまで「表の情報」だ。原爆や戦艦大和のように秘密兵器は極秘に作られるもの。ひそかに地震兵器が開発されていたとしても、なんの不思議はないのだ……。

 

【参考資料】
『多発する人造地震――人間が引き起こす地震』
島村英紀(花伝社)
『日本の地震災害』伊藤和明(岩波新書)
NHKアーカイブス「封印された大震災~愛知・半田~」