■スタッフが語る過去の因縁とは

恐る恐る中をのぞき込んだヤマオさんは、息を呑んだ。埃(ほこり)をかぶったベッドと剥がれかけの壁紙。そして、床や壁一面に刻まれた無数の爪痕(つめあと)──。
「実はね……」
呆然といているヤマオさんに、スタッフはぽつりぽつりと語り始めた。
「昔、この部屋に泊まっていた外国人がいたんです。でも、ある日突然、姿を消してしまって……私たちも探したんですが、結局、何もわからなかった。
しかも、部屋の中には誰もいなかったのに、壁や床には爪で引っ掻いたような痕がたくさん残っていたんです。まるで“何か”から必死に逃げようとしていたみたいに……」
背筋が凍った。何が起こったのかも、何がいたのかもわからない。ただ、話を聞いている今も、どこかにその何かが潜んでいるような、そんな息苦しい空気が漂っていた。
その日は何事もなく過ぎたが、それ以来、ヤマオさんの部屋でも奇妙な現象が起こるようになった。夜になると、どこからともなく壁を引っ掻く音が聞こえる。最初は隣の部屋かと思っていたが、よく耳を澄ませると……、
(自分の部屋の壁から聞こえている!)
音の出所に気づいたヤマオさんが、ハッとして自分の部屋の壁を見回すと、同じような爪痕がそこら中に浮かび上がっていた……。
■冗談めかして語るAだったが…

Aさんはここで話を終えた。
「それがヤマオさんと最後の連絡になったんだ……」
「えっ、どういうことですか?」
私が尋ねると、Aさんは苦笑しながら言った。
「突然、消息を絶ったんだよ……隣の部屋の外国人みたいに。まるで、よくできた怪談だろ?」
冗談めかした口調だったが、Aさんの表情はどこか真剣に見えた。なにかを感じてか、周囲も静まり返って、誰ひとり笑わない。
そして、Aさんはぽつりと呟いた。
「でさ、いま俺が泊まっているのが……そのホテルなんだよ」
全員がぎょっとしてAさんの顔を見つめる。
「ヤマオさんが最後に泊まったホテルってことで興味があって泊まってみたんだ。それで……俺もふと自分の部屋の壁を見たんだよ。……そしたら……あったんだよ。引っ掻いたような爪痕が……」
「……え?」
「……なんてな! 冗談だよ!」
Aさんはそう言って笑った。場の空気も和み、皆がホッとしたように笑う。だが、それから1カ月後、彼と一切連絡が取れなくなった──。
■消えたAは何に呼ばれたのか?

最初は電波の通じない国にでも行っているのかと思った。しかし、それからどれほど連絡をしても、返事は帰ってこなかった。誰に聞いても、Aさんの行方を知らないのだ。まるで彼が話していたヤマオさんのように……。
タイでは、幽霊が出ると噂されるアパートやホテルのニュースがたびたび話題になる。しかもそこでは住人が不審死を遂げたり、突如、行方不明になったりするという。
海外ではたびたび、行方不明になる日本人のニュースを聞くことがある。はたして、Aさんやその先輩のヤマオさんはどこへ消えたのだろうか。彼らの失踪は自分の意志なのか、それともこの世のものではない“何か”の仕業なのだろうか……。