■呪法は成功したが狙いは大外れ

こうして1944(昭和19)年末、ルーズベルト大統領を狙った呪殺計画が発動した。狙いは指導者の急死でアメリカに大混乱を引き起こすというものだった。
真言密教の総本山、高野山・金剛峯寺(東京の秘密基地という説もあり)に、日本中から高僧が集められ、翌1945(昭和20)年1月から呪法が営まれた。しかも、同時に全国の有名寺院でも一斉に怨敵調伏の祈祷をし続けたという。
そして、儀式開始から3カ月後、ルーズベルトは病に倒れる。戦勝記念の肖像画を描かせていたさなかの悲劇だった。呪いは成功に終わったのだ。
ただ、アメリカは副大統領のハリー・S・トルーマンを次の大統領にして戦争を続行。偉大な指導者を失い国民は悲しんだものの、日本が狙っていたほどの混乱には陥らなかった。日本政府や軍部は、大統領の地位を過大評価しすぎていたわけだ。

ルーズベルト大統領の構想の様子。偉大な指導者の死でむしろ戦意が高揚!?
画像:National Archives and Records Administration, Public domain, via Wikimedia Commons
■大統領呪殺が招いた悲劇とは?

1945年7月、ポツダム会談に参加したトルーマン大統領(中央)とスターリン(左)。この時点で日本の無条件降伏は既定路線だったのだが、トルーマンは……。
画像: Public domain, via Wikimedia Commons
当然のことながら、「ルーズベルト呪殺」にまつわる公式資料は残ってない。あくまで「都市伝説」として語られる噂や伝聞に過ぎず、真相は闇の中だ。
とはいえ、気になる「事実」は残っている。例えば呪殺の前年、1944年8月には、内務大臣・大達茂雄の名で「驕り高ぶる鬼畜米英の一挙撃滅を祈願せよ」と全国の神社に訓令が下されいる。
また、仏教界だけ見ても、終戦間際の数年は高野山をはじめ各地の寺院で「米英撃滅」や「宿敵降伏」を祈願した法要や護摩が行なわれている。まさに宗教界を挙げて、怨敵調伏に協力していたわけだ。

ただし、ルーズベルトを死に追いやった呪詛は思わぬ形で日本国民に返ってきた。ご存じのとおり、ルーズベルトの後を継いだトルーマン大統領は、「原爆投下がなくても日本は降伏する」という助言に耳を貸さず、広島・長崎への原爆投下を強行したのだ。
「人を呪わば……」とはいうが、呪殺が招いたものだとしたらおぞましい結果といえるだろう。そして、この原爆投下については、天皇家にまつわる不可解な都市伝説も存在するが、それはまた、別の回で紹介しよう。
「1945 年ルーズベルト呪詛説に関する一考察」増子保志(日本国際情報学会『Kokusai-Joho 4巻1号』)
『中世の国家と天皇・儀礼 (歴史科学叢書)』井原今朝男(校倉書房)
『実録怪談歴史ミステリー 太平洋戦争の超怖い話第参号』(ダイアプレス)