済州の人たちの日本観は実体験に根差しているので、対日感情についても冷静な意見が多く興味深い。なにしろ日本では稼ぐことができたため、仕事が少々辛かったにせよ、楽しげに日本の思い出を話す人が少なくなかったのだ。

 済州北東部の金寧の老人亭で出会ったHさん(1945年生まれ、男性)は、1960年に貿易船で大阪に密航し、東淀川区のメリヤス工場で働いていた。休みの日にパチンコをするのが楽しみで、常連どうし顔なじみになった。1985年に済州に帰ろうと警察に自首(?)しに行ったところ、なんと担当刑事がパチンコ屋の顔見知りで、

「おまえ韓国人だったのか?」

「旦那が刑事とは知りませんでした」

 と、笑い合ったという。

 こんな話が聞けるのも、日本人とリアルに関わった人が多い済州ならではだ。

済州市外バスターミナル前のおばあちゃんと孫のオブジェ

 朝鮮半島で日本語が公用語ではなくなって75年以上になる。植民地時代末期に十代半ばだった人までを日本語世代と呼ぶならば、彼らはすでに90歳を超えている。ソウルや釜山では街で出会う高齢者に日本語で話しかけても通じないことが多くなったが、済州では解放後の出稼ぎ経験者が多いことから、日本語を話せる人がまだまだ多い。

 道端でバスを待っている人、市場の路上で商いをしている人のなかに高齢者を見かけたら、韓国語か日本語で話しかけてみるのも一興だ。

バスで島を南下(縦断)する途中、漢拏山の東側の緑の濃い地域を通る
島の南側にある西帰浦毎日オルレ市場のオモニと

(つづく)

*本コラム筆者のオンライン講座(全2回)
・日時:8月7日(日)、10月9日(日) ※いずれも15:30~17:00
・テーマ:「韓国人と日本人が振り返る韓流20年」
・語り手:ソウル在住の紀行作家・鄭 銀淑(チョン・ウンスク)、韓国関連書籍の企画編集者・山下龍夫
 日本における韓流の胎動期である90年代から現在までを世相とからめながら解説します。詳細とお申し込みは下記(栄中日文化センター)へ。
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