物語だけでなく、済州の美しい風景や五日市で働く人たちのやさしさにも感動させられた韓国ドラマ『私たちのブルース』。今もその余韻が冷めないが、遠くない韓国訪問に備え、この島の魅力をお伝えしよう。
■日本との心理的距離
バスやタクシーの運転手さん、食堂の主人、飲み屋で隣り合わせた地元民など、済州の人たちと世間話をすると、日本が話題になることが多い。
今でこそ観光産業が盛んな済州だが、1970年に本土と空路で結ばれるまでは開発から取り残された南の島に過ぎなかった。農業漁業以外に産業らしいものはなかったので、植民地時代も解放後も仕事を求めて日本に行く人が少なくなかった。
私はその土地の昔の様子を知りたいとき、老人亭(ノインジョン)と呼ばれる高齢者の集会所を訪ねることが多い。そこでは70代以上の人(女性が多い)が集まって、おしゃべりをしたり、花札をしたりして楽しんでいる。みな比較的時間があるので、じっくり話が聞けるのだ。
済州でも4、5カ所の老人亭を訪ねたが、日本に出稼ぎに行った経験があったり、親戚が日本に定住していたりする人がとても多かった。大阪鶴橋の韓国料理店の厨房で働いたとか、東京三河島のカバン工場で働いていたという話は何度も聞いた。
『私たちのブルース』のチュニ(コ・ドゥシム)やヨンオク(ハン・ジミン)のような海女経験者も多く、なかには日本の紀伊半島や房総半島でも潜ったという人にも出会ったことがある。