文定王后は諦めなかった。王朝実録にも残されているが、「いつ私と慶源を殺すつもりですか?」と逆に脅迫し、王を悩ませた。そんな仁宗は、朝鮮王朝でもっとも在位が短く(8カ月と15日間)、30歳の若さであっけなくこの世を去った。その死因は原因不明の病とされている。

 だが、野史ではこうだ。ある日、いつものように仁宗が文定王后のもとにご機嫌伺いにいくと、これまで絶えず仁宗を傷つけてきた文定王后が、笑顔で歓迎した。「ついに許してくれたのかも」と思った仁宗は、文定王后が差し出す毒餅を食べた直後、具合を悪くし亡くなった。毒と疑うことなく食べたとも、わかっていても食べたとも伝わっている。

 仁宗には後継がおらず(異母弟に譲るつもりで子を作らなかったといわれている)、わずか11歳の慶源大君が王位についた。ついに文定王后の願いが叶ったのだ。彼女は大妃として11年間に渡って垂簾聴政を行い、弟のユン・ウォンヒョンとともに政敵を粛清して権力を謳歌。朝廷を混乱させ、王の権威を失墜させた。それは明宗の親政時代になっても変わらず、自分の意に沿わぬ政治を行おうとする明宗を呼び出しては「あなたが王になったのは私のおかげだ」と叩いたしりして、苦しめたそうだ。そうやって、国と民をないがしろにし、私利私欲を尽くした悪名高き「女帝」は、64歳でこの世を去った。

 こうしてみると、『シュルプ』の大妃のモデルは、まさに文定王后だったのでは?と思わざるをえない。

『シュルプ』画像出典:tvN