平民のなりをして官吏の不正を探り、動かぬ証拠を掴めば摘発へ。彼ら暗行御史の権限は絶大で、自ら裁きを行うことができ、不正が明らかになれば国王の許可を待たずとも免職することができた。一方で、その行動はすべて隠密。任務を終えるまでは家族と連絡をとることも許されず、親の死に目にさえ戻ることは許されなかった。役割が役割なだけに、しばしば政争に利用されることもあったとか。
激務のため、基本的に体力のある20〜30代までが任命されていたのだが、飢えで死ぬ者、正体がバレて殺される者、逆に身分が証明できずに亡くなる者などが多発。その生存率は30%ほどだったそう。
『御史とジョイ』の冒頭では、廃人のようになって戻ってきた暗行御史の姿を見た役人たちが「暗行御史に抜擢された瞬間人生は終わった同然と思え」と話していたり、主人であるラ・イオン(テギョン)が暗行御史に任ぜられたと知った小間使いが、仮病を使ってお供をごねたり、暗行御史=“迷惑なお役目“として描かれているのも、そういった背景があるからだろう。
そもそも、新人のイオンにこの役目が回ってきたのも、候補者たちがみな病や身内の不幸を理由に辞退したからだった!
とはいえ、もっとも暗行御史を重用した王で知られる21代・英祖(ヨンジョ)の時代に活躍したパク・ムンス(朴文秀)は、最初の任務の成功をきっかけに出世の基盤を固め、英祖の信頼も得ていった。御史として派遣されるたびに(生涯4度派遣されている)民の救済や不正の摘発に尽力した結果、暗行御史の代名詞として庶民から絶大な支持を得るように。それが証拠に全国各地に200以上の説話が残されているのだそう。
そうやって庶民の味方として愛された暗行御史だが、1982年、26代・高宗(コジョン)により制度そのものが廃止された。