人気を集めるNetflix暴君のシェフ』で、国王イ・ホン(イ・チェミン)の継母となっているのがチャヒョン大妃(シン・ウンジョン)である。イ・ホンの生母が廃妃になった後に王妃となり、イ・ホンの異母弟であるチンミョン大君の母親となっている。この継母チャヒョン大妃に史実でそっくりな人物がいる。それが慈順(チャスン)大妃だ。

■Netflix『暴君のシェフ』王の継母の大妃、史実ではどんな人物だったのか?

 慈順大妃は1462年に生まれた。1473年に9代王・成宗(ソンジョン)の側室となっている。同じく1473年に成宗の側室になったのが、後に燕山君(ヨンサングン)を産む尹氏(ユンシ)だった。

 成宗の最初の妻であった恭恵(コンヘ)王后は1474年に亡くなり、尹氏が成宗の二番目の妻となった。しかし、尹氏は不祥事によって1479年に廃妃になり、さらに1482年に死罪に処された。その間、慈順大妃が貞顕(チョンヒョン)王后として成宗の三番目の妻となっている。彼女は成宗との間に1488年に王子を産んだ。それが後の晋城大君(チンソンデグン)である。

 成宗は1494年に亡くなり、尹氏が産んだ燕山君が10代王として即位した。それにともなって、貞顕王后は国王の母を意味する大妃(テビ)になった(慈順大妃が大妃として冊封されたのは1497年である)。

 慈順大妃が朝鮮王朝の歴史で重要な存在感を示したのが1506年であった。

 暴政を繰り返した燕山君(『暴君のシェフ』の国王ホンのモデル)がクーデターによって王宮を追われて廃位となった。すかさずクーデターを成功させた重臣たちは慈順大妃のもとに向かった。彼女から、クーデターの承認と、新国王の推挙を受けるためだった。

 重臣たちは「新しく晋城大君をお迎えして、王家の系統をつなげたいと思います。ぜひお許しを賜りたく……」と懇願した。しかし、慈順大妃は難色を示した。晋城大君がクーデターの首謀者である、という印象を歴史に残したくなかったのだ。

「小さな子が重責を全うできるのか。しばらく成長を待ってから、王家の系統を継ぐことを考えたほうがよいのではないか」

 慈順大妃はそういう意向だった。