キム・ゴウン扮するウンジュンとパク・ジヒョン扮するとサンヨン。幼なじみの二人が、社会に出てから再び出会うところから始まるNetflix配信ドラマ『ウンジュンとサンヨン』は、登場人物の心のひだの描写がリアルで、身につまされることが多い。とくに大学時代のウンジュンとサンヨン、先輩男子サンハク(キム・ゴヌ)の三角関係には胸が痛んだ。(以下、一部ネタバレを含みます)
■Netflix『ウンジュンとサンヨン』で描かれる大学時代の背景、南北朝上会談の実現、サッカーW杯日韓共催
主人公ウンジュンの行動を見ていればわかるように、当時の韓国はヘンディポン(携帯電話)での通話とムンチャ(メール)は定着しつつあったものの、まだ手紙でのやりとりも珍しくなかった時代。
恋愛意識も今とは比べものにならないくらい保守的で、路上でのホンティング(ナンパ)には抵抗を感じる者が多く、ミーティング(合コン)やソゲッティング(友人知人からの紹介)で相手を探すのがせいぜいだった。
ところで、彼らが多感な時期を過ごした2000年頃から2002年頃の韓国はどんな時代で、住んでいたソウルはどんな街だったのだろう。
サンヨンが高校を卒業した2000年は、キム・デジュン(金大中)大統領とキム・ジョンイル(金正日)国防委員長の南北朝上会談が平壌で実現したり、シドニーオリンピックの開会式で南北選手団が同時入場したりと、南北の融和と統一の気運が高まった時期だった。
その翌年にはIMFの管理下からも脱し、2002年にはサッカーW杯も控えていたため、明るい時代の到来を期待するムードにあふれていた。ウンジュンが入った大学の写真同好会の新入生歓迎コンパの楽しげな様子も、民主化運動に注力していた時代の学生とはまったく違う雰囲気だった。
ウンジュンに1年遅れて同じ大学に入ってきたサンヨンは、父親が破産して暮らしぶりが一変していた。キム・ヨンサム(金泳三)大統領の経済政策の失敗で韓国の外国債務が膨れ上がり、IМFの管理下に置かれたのが1997年11月。サンヨンの父親の破産も時期的にそれと関係があったかもしれない。
2002年、サンハクとウンジュンが赤いTシャツを着て、HOF(韓国のビアホール)でスペイン戦の応援をしていたのは、懐かしいというより、ごく最近のことのように韓国人の記憶にしっかりと刻まれている。とくにベスト4進出に貢献したアン・ジョンファン選手の活躍は忘れられない。

