韓国時代劇で古代史を題材にしている作品に、高句麗の初代王を主人公のモデルにした傑作『朱蒙〔チュモン〕』、6世紀の百済を舞台にしたロマンス時代劇『帝王の娘 スベクヒャン』、高句麗の領土を拡大した第19代王・広開土大王を描いた『太王四神記』『広開土太王』などがある。
朝鮮半島の古代国家だった高句麗と百済は、日本とも関係が深かった。たとえば、高句麗の僧侶は数多く日本に来て、聖徳太子や他の知識層と交流していた。また、『帝王の娘 スベクヒャン』でチョ・ヒョンジェが演じたミョンノンは、後の百済26代王・聖王(聖明王)なのだが、彼は日本に仏教を初めて伝えた王としてあまりに有名だ。
■奈良の高松塚古墳やキトラ古墳、飛鳥寺などには渡来人の技術が生かされていた
2026年1月13日と14日、奈良で日韓首脳会談が開催された。両国首脳が会談した奈良は、古代史において日本と朝鮮半島の交流の場所となっていた。
筆者は著書『日韓の古代史にはどんな謎があるのか』の中で、朝鮮半島からの渡来人が奈良に定住して様々な影響を及ぼしたことを記している。彼らは仏教に精通し、新しい技術を持っていた。それゆえ、渡来人は文化や生活の面で欠かせない存在となった。
ここで注目したいのが、於美阿志(おみあし)神社がある檜前(ひのくま/檜隈)である。ここは、朝鮮半島からの渡来人が集まって住んだ場所だ。かつては、渡来人によって建てられた檜隈寺もあった。いまは礎石のみが於美阿志神社の境内に残っている。
神社の近くからは、オンドルの遺構も発見されている。オンドルは、朝鮮半島独自の暖房技術だが、飛鳥に残っていたということが重要な事実になっている。そこには、渡来人が祖国の生活様式を守り抜いた証があるのだ。
今も地名として残る檜前は、古代の一時期に東漢(やまとのあや)氏の根拠地になっていた。この東漢氏は渡来系の有力な一族で、日本の生活改善に及ぼした影響が本当に大きかった。そうした檜前にあるのが高松塚古墳とキトラ古墳である。
二つとも四神(東西南北をまもる守護神で東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武)が描かれた壁画が有名だが、古代に朝鮮半島から渡ってきた画工たちが描いていたと言われている。
また、日本最古の仏教寺院と称される飛鳥寺も、朝鮮半島の寺院の伽藍形式を濃厚に受け継いでいた。
なお、渡来人が定住した飛鳥という美しい地名の語源には、朝鮮半島古語の「アンスク(安宿)」という説がある。それが日本で「アスカ」となり、「飛鳥」という漢字に置き換えられたという説だが、本当に興味深い話だ。