■ルイ14世に忍び寄る死の呪い

 

ルイ14世
ブルボン朝フランスの絶頂期を築いた太陽王ルイ14世にも呪いが!? 画像:Public Domain, via Wikimedia Commons

 その後、(インドで死んだはずのw)タヴェルニエはダイヤモンドを、”太陽王”と呼ばれたフランス国王ルイ14世に売却した。この時、ダイヤモンドはカッティングされ67と1/8カラットになった。また、この当時はその青い色から「フレンチ・ブルー」と呼ばれたという。


 伝説によれば、ルイ14世が呪いのダイヤモンドを入手した直後、幼い娘と息子3人が立て続けに亡くなったという。さらに呪いは彼の家族以外にも”感染”していく。

 

 フランス有数の資産家で当時の大蔵卿(財務長官)だった二コラ・フーケは、ルイ14世の歓心を買おうと盛大なパーティーを開く。その宴席でルイ14世から「フレンチ・ブルー」を呪いのダイヤとは知らず拝借して身に付けフーケ。

 

 しかし、この日を境に、フーケの人生は転落の一途を辿る。突然、大蔵卿を罷免され、汚職などの罪で牢獄に入れられて財産はすべて没収。そのまま獄死することになる。一方のルイ14世も、長年、呪いのダイヤを保有してきた祟りか、最期は壊疽を患い苦しみ抜いて死んだという──。

 

【伝説の真相】
 実際には、1668年にルイ14世がダイヤモンドを入手する以前から、彼の娘2人が生まれてすぐ亡くなっていた。これは当時の医療や衛生環境を考えれば不自然でもなんでもない。また、二コラ・フーケの失脚も、問題のパーティ―が開かれたのが1661年で、牢獄に入れられたのも1665年と、呪いのダイヤ入手以前の話。しかも、その後15年も生き延び65歳で死んだという。さらに、ルイ14世も76歳の長命だった。

 

 

■マリー・アントワネットの非業の死も…

 

マリー・アントワネット
処刑人サンソンがギロチンで切り落としたマリー・アントワネットの首を掲げる様子 画像:Public domain, via Wikimedia Commons

 太陽王ルイ14世の死後、ひ孫のルイ15世が呪われたダイヤモンドを継承。さらに、ルイ15世が天然痘で急死した後(これはダイヤモンドの呪いとはされていないらしい)、彼の孫にあたるルイ16世がフランス国王の座とともにいわくつきのダイヤを受け継ぐことになる。

 

 すでにルイ15世時代から相次ぐ戦争でフランス衰退の兆しが見え始め、遂に、ルイ16世時代にフランス革命が起こるのだが、これも後に「ダイヤモンドの呪いだったのでは?」と囁かれたという。

 

 伝説によれば、王妃マリー・アントワネットの寵臣だったランバル公妃マリー・ルイーズは、たびたび例のダイヤモンドを借りて身に付けていた。1789年に革命が起こり監獄に収監されたマリー・ルイーズは、3年後の9月、革命派の群集が監獄を襲撃した際に、牢屋から引きずり出されメッタ刺しにされ惨殺された。

 

 もちろん本来の持ち主であるルイ16世とマリー・アントワネットにも呪いは降りかかる。マリー・ルイーズの惨死から約1年後の1793年8月にはルイ16世が、10月にはマリー・アントワネットもギロチン台で首を落とされ、刑場の露と消えた──。

 

【伝説の真相】
 確かに、ルイ15世が天然痘で死んだのは事実だが御年63歳で、女性関係がお盛んだったので感染してもおかしくはない。また、ルイ16世、マリー・アントワネット、マリー・ルイーズが惨死したのも事実だが、そんなに頻繁に呪いのダイヤモンドを身に付けていたかは不明。しかも、フランス革命中は呪い関係なく無残な死を遂げた人物ばかりなので、ダイヤモンドのせいにするのは酷な話だ。