■呪いのダイヤがロンドンに!
しかも、ルイ16世たちが「ダイヤの呪いで死んだ」という割には、彼らの死の1年前の1792年、革命のどさくさに紛れ窃盗団がこのダイヤモンドを含む宝石類を強奪していたという。 事実上、持ち主でなくなっていたのに「ダイヤの呪い」で死んだとしたら、辻褄が合わなくなるエピソードだ。
さらに、伝説によればフランス革命後、長年行方不明になっていたが、そのさなかにオランダの宝石商ウィルヘルム・ファルスは、今日見られるような45カラットにダイヤをカット。しかし、ファルスの息子がダイヤを盗み、父親を殺害。その後、自殺してしまったという──。
その後、半世紀近く行方不明だった呪いのダイヤモンドが突如、ロンドンに姿を現した。1839年、当時、世界有数の金融財閥ホープ家の一人、ヘンリー・フィリップ・ホープの所有する宝石コレクションのカタログに登場したのだ。
ただ、カタログには、ホープが誰から、いくらで入手したのかなどの情報は記載されていなかった。また、この後、呪いのダイヤが「ホープ・ダイヤモンド」と呼ばれるのは、彼の一族の名前に由来する。
カタログにホープ・ダイヤモンドが載った同じ年、ヘンリー・フィリップ・ホープが亡くなる。子どもがなかったため、ホープ一族の中で相続を争うことになり、結局、約50年後には兄の家系のフランシス・ホープが継承することになる。
このフランシスは1894年にアメリカのミュージカル女優、メイ・ヨーへことメアリー・オーガスタ・ヨへと電撃結婚をし、ヨーへがたびたび社交界でホープ・ダイヤモンドを身に付けた。
ただし、伝説によれば、結婚からわずか2年後にはフランシスは破産状態になったという。その後もフランシスの不幸は続き、ヨーへは米軍大尉と不倫の恋に落ち、フランシスのもとを去る。さらに、狩猟中の事故で片脚を失う。また、メイ・ヨーへも数度の結婚離婚を繰り返した末、貧困状態で亡くなることになった──。
正確には、結婚以前から破産状態だったうえ、夫婦そろってトンデもない浪費家だったことで金欠に拍車をかけたようだ。また、メイ・ヨーへが恋多き女だったのも事実で、フランシスとの離婚後、「自分の不幸は呪われたダイヤのせいだ!」などと吹聴。さらに『ダイヤモンドの謎』という著書の中で、架空のエピソードや登場人物を盛り込み”呪われたダイヤモンド”の伝説を広め、さらに、1920年代には同書を原作とした映画シリーズ「ホープ・ダイヤモンド・ミステリー」まで製作され、彼女も出演したのだった。
■「呪い特約」付きで購入
1902年、フランシス・ホープとメイ・ヨーへが離婚した際に、ホープ・ダイヤモンドも遂に売却されホープ一族の手を離れることに。その後数年間、いくつかの宝石商を経て高級宝飾ブランド「カルティエ」の創業者一族の一人、ピエール・カルティエがフランスの宝石商から55万フラン(現在の日本円で約7億円)で入手した。
そして、カルティエがホープ・ダイヤモンドの売り先に狙いを定めたのが、億万長者の娘で社交界の華だったエヴァリン・ウォルシュ・マクリーンと、大手新聞「ワシントン・ポスト」オーナー家の御曹司エドワード・マクリーンの若夫婦だった。
ただ、伝説によれば、ホープ家の手を離れ、このマクリーン夫妻の手に渡るまでに、
「フランス人の宝石ブローカーが購入するが、精神に異常をきたし自殺した」
「パリの女優が購入したが愛人のロシア大公に射殺された」
「オスマン帝国のスルタンに渡ったが、革命で失脚した」
「ギリシア人宝石ブローカーが入手したが、自動車事故で家族全員が死亡した」
などの「呪いの噂」が流れていた。当然、マクリーン夫妻も一時、購入をためらったが、
「購入から6カ月以内にマクリーン夫妻の家族に不慮の死が起きたら、同等の価値の宝石と交換する」
という「呪いのダイヤ特約」を付けて、1911年、正式に18万ドル(約8億4000万円)で購入することになった。なお、その後もマクリーン夫妻の友人や親せきは、「呪いのダイヤなんて縁起でもない! とっととカルティエに買い戻させなさい!」と忠告したが、夫妻は耳を貸さず、そもそもカルティエも買い戻しを拒否したという──。
例えば、「ダイヤに呪われたスルタン」が失脚したのはとっくに手放した後だったり(そもそも入手していないとの説も)、ほとんどが与太話。カルティエが転売で儲けたように、投資商品であったホープ・ダイヤモンドに「これだけの伝説やパワーをもったダイヤ」と箔を付け、資産価値を吊り上げる、いわば「炎上マーケティング」として呪いの噂にどんどん尾鰭(おひれ)が付いたという説がある。