■スターリンに戦艦長門を売却!?

なぜ米内がスターリンやソ連をそこまで信用したのかは謎。
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1940(昭和15)年、米内は総理大臣に就任するも、わずか半年で退任。ふたたび海軍大臣として政界に戻ったのは1944(昭和19)年で、与えられた役割は、対米戦の終戦工作である。
1945(昭和20)年5月11日。政府首脳のあいだで最高戦争指導会議が開かれた。敗北確実になった戦争の舵取りを決めるためだ。ここで提案されたのが、ソ連を仲介した日米講和である。
「さすがに無理ではないか?」
東郷重徳(とうごうしげのり)外相はそう首を傾げたようだが、これを強引に主張したのが米内である。米内には、すでにソ連大使館経由で戦艦長門や残存艦艇と資源の交換を打診していたという逸話もある。もっとも、これはスターリンに無視されたようだが……。
■米内の期待を裏切りソ連が参戦

日本への最後通牒が採択されたポツダム会談。
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その後も米内のソ連への期待は大きかった。6月22日の御前会議では「ソ連をして戦争を終結すべき時期が到来したと思われます」と熱弁し、モスクワへの特使派遣を後押しした。ポツダム宣言に対しても、「ソ連の返事を待ってからでも遅くはない」と受諾を邪魔している。
なぜ米内が、ここまでソ連を信用したかはわかっていない。スイス経由の和平工作が進まないので、別ルートを開拓したかったとする説もあるが真相は不明だ。
いずれにせよ、米内のソ連に対する期待は、ことごとく裏切られる。ソ連は日本を終戦に導くことはなく、それどころか8月9日には中立条約を一方的に破棄して満州に攻め込んでいる。
果たして米内は、海軍相としてふさわしい人物だったのか。ほかに適任者はいなかったのか。評価の分かれるところではある。
『海軍大将 米内光政正伝』実松譲(光人社)
『決定版 日中戦争』波多野澄雄他(新潮新書)
『米内光政と山本五十六は愚将だった 「海軍善玉論」の虚妄を糺す』三村文男(テーミス)