テレビ東京で放送中の『赤い袖先』は9月14日に第10話がオンエアされた。ドラマは原作小説(カン・ミガン著)があるフィクションだが、時系列は史実に基づいている。そこで、『赤い袖先』をより深く楽しめるように、実際に起こった出来事を順に解説していこう。
■『赤い袖先』で2PMジュノ演じるイ・サンは実際に早熟の天才だった
イ・サンの両親は思悼世子(サドセジャ)と恵嬪(ヘビン)ホン氏だ。2人が結婚したのは1744年であった。
1750年に恵嬪ホン氏は長男の懿昭(ウィソ)を産んでいる。王位を継承する嫡男の誕生に王宮は歓喜に包まれたが、1752年に早世してしまった。祖父の英祖(ヨンジョ)はひどく落胆したが、すぐに朗報がもたらされた。二男が誕生したのである。それがイ・サンだった。
恵嬪ホン氏は続けて、1754年に清衍(チョンヨン)、1756年に清璿(チョンソン)を産んでいる。2人の妹は『赤い袖先』にもよく出てくるのだが、イ・サンよりそれぞれ2歳と4歳年下であった。
イ・サンは早熟の天才で恵嬪ホン氏によると「満1歳で文字を覚えた」という。順調に育ったイ・サンの嫁選びは1761年の秋に行なわれ、金時黙(キム・シムク)の娘が選ばれた。そのキム氏は1753年の生まれで、後の孝懿(ヒョウィ)王后になった。
イ・サンとキム氏は1762年2月2日に結婚式を挙げている。ただし、『赤い袖先』ではキム氏は登場してこない。ここが史実とドラマの一番の違いだ。
一方、『赤い袖先』の主人公となるソン・ドギム(成徳任/後に宜嬪〔ウィビン〕ソン氏と称された)は1753年生まれで、イ・サンより1歳下だった。彼女の父親は恵嬪ホン氏の実家で働いていた使用人であり、その縁でソン・ドギムは宮女の見習いとなった。それは9歳のときのことだ。
当時は、朝鮮王朝を揺るがせた大事件が起こった時期である。その大事件とは、思悼世子が英祖の命令によって米びつに閉じ込められて餓死したことを指している。この悲劇によって恵嬪ホン氏とイ・サンの運命も暗転した。
恵嬪ホン氏は王宮を出されてイ・サンと3年ほど別々に暮らさなければならなかった。彼女にとっては、夫が無惨な死を迎えた上に我が子とも離されて本当に辛い日々であったことだろう。