4.19は韓国の人なら誰でも知っている。1960年に話は遡る。キーパーソンは李承晩である。そのときの大統領だった。
李承晩はアメリカとの関係のなかで生きた政治家だった。彼がアメリア留学中、朝鮮半島は日本に併合される。日本領になった朝鮮半島に戻るが再びアメリカへ。日本人としてハワイに暮らし、朝鮮独立運動にかかわっていく。1919年、上海で結成された大韓民国臨時政府の初代大総理になった。
臨時政府跡は記念館になっている。僕も何回か訪ねた。中国にはよくある2階建てのつづき長屋風建物の一角。訪ねる韓国人は少なくなかった。
やがて日本敗戦を迎える。朝鮮は独立する。李承晩はその後の建国運動の中心人物になっていく。そこで起きるのが朝鮮戦争だった。1953年に朝鮮戦争は休戦。その間も李承晩は大統領の椅子に座りつづけていた。彼の独裁色はしだいに強まっていく。反対派への弾圧を強めていくのだ。
そのなかで4.19は起きる。大統領選挙の不正が明るみに出、国民や政界の批判の声は激しさを増し、デモ隊と治安警察が衝突することになる。犠牲者の数は資料によって違うが、200人近い死者が出たという説が一般的だ。4.19は四月革命とも呼ばれる。
これを受け、李承晩はハワイに亡命することになる。
民主化運動は勝利したかにみえたが、その後に軍事クーデターが起き、再び独裁の色が強くなっていく。最終的に韓国が民主体制になるのは1987年だった。しかし政府は、民主化の原点である4.19を重視する。そして広さが13万平方メートルという広大な墓地をつくり、そこには慰霊塔や記念館をつくった。
駅から10分ほど歩いただろうか。墓地の入り口に着いた。石碑には「民主聖域」と書かれていた。4月19日には多くの人が訪れるという。しかし60年以上前の政変である。デモに加わった人がいたとしても、すでに80歳を超えている。墓地の入り口も静まり返っていた。歴史はソウルの世代交代のなかで風化しつつある。だからあえて駅名に墓地とつけた? そこまで考えた駅名という気もした。