■1990年代は事実上の日本移民もあった

 1967年生まれの筆者は、両親が運営していた日本に輸出する剣道の防具工場が好調で、ソウルのはずれの下町に住んでいたわりには暮らしが安定していたので海外移民とは無縁だった。それでも、身の回りには移民の話はふつうにあった。

 よく覚えているのは、1990年代後半に日本に留学したとき、バイト先の焼肉店で知り合った韓国人男性の話だ。彼は1980年代半ばにロサンゼルスで韓国料理店を開いた兄夫婦からの招請を待っていたが、スパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』で描かれているような人種の対立(のちにロス暴動に発展)の話を聞いて気後れし、行き先を日本に変えた。表向きは語学留学だったが、それは事実上の移民だった。彼は学校卒業後もオーバーステイのまま焼肉店で20年以上、厨房長を務めていた。

 1980年代と1990年代に、日本で急増した韓国クラブで働いた韓国女性たちにもそんなケースは多い。筆者の知人には、ビザの問題で強制送還になった者も何人かいた。就労ビザや結婚ビザがらみのトラブルはあったが、日本語と比べると習得が難しい英語圏やスペイン語圏で、しかも人種差別が露骨な国での苦労と比べたら、日本暮らしはラクだと彼ら彼女らはよく言っていた。

 コロンビアが舞台の『ボゴタ: 彷徨いの地』で、主人公グッキはたびたび生命の危機にさらされるが、日本ではそんなことは微塵も感じたことがなかったようだ。

 1990年代と比べると、生活水準は格段に上がった韓国だが、小さな国土、学歴インフレなどで就職難は深刻だ。韓流エンタテインメントやIT産業が急伸し、傍目には華やかに見えるかもしれないが、自殺率の高さや出生率の低さを見ればわかるように、けっして生きやすい国とは言えない。

 海外に活路を見出す移民は私たち韓国人にとって、依然として現実的な問題なのだ。

韓流熱風が吹く前の新大久保。当時、深夜の韓国料理店で食事していたのは歌舞伎町のクラブで働く韓国女性が多かった
1990年代末の新大久保は今のように日本の若い女性が集まる雰囲気ではなかった

●配信情報

Netflix映画『ボゴタ: 彷徨いの地』独占配信中

[2024年/109分]監督・共同脚本:キム・ソンジェ『国選弁護人 ユン・ジンウォン』

出演:ソン・ジュンギ『ヴィンチェンツォ』、イ・ヒジュン『マウス〜ある殺人者の系譜〜』、クォン・ヘヒョ白雪姫には死を〜BLACK OUT』