韓国時代劇『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』では、キム・ジョンテが演じる仁祖(インジョ)とキム・ムジュンが扮する昭顕(ソヒョン)世子の間に生じた深い確執が、詳細に描かれていた。
この作品が視聴者の心を強く捉えた理由の1つは、2人の葛藤が単なるフィクションではなく、史実に裏打ちされた悲劇であったという点にある。その歴史背景をより深く理解するために、史実における2人の関係性を解説しよう。(以下、一部ネタバレを含みます)
■ナムグン・ミン扮する主人公イ・ジャンヒョンは命を落とした昭顕世子の正統性を代弁するキャラクター
仁祖は1637年1月に清の皇帝に対して屈服した。敗戦の過酷な代償として長男の昭顕世子と妻の姜氏(カンシ)の夫婦は、人質として清の首都である瀋陽(しんよう)に連行された。この出来事によって、仁祖の心には清に対する深い憎悪とトラウマが刻み込まれた。
しかし、瀋陽で軟禁生活を強いられた昭顕世子と姜氏は、ただ悲観して日々を過ごしていたわけではない。2人は大国として急成長を遂げた清で暮らす中で、朝鮮王朝にはなかった先進の文明に直接触れていった。その中で、昭顕世子は次第に実利的な外交路線の必要性を痛感した。
こうした昭顕世子と姜氏の柔軟な考え方は、母国において歪められた形で誤って伝えられてしまった。
相変わらず清を激しく憎み続けていた仁祖は、「世子は清に寝返ったのではないか」という噂を耳にして激怒し、極度の疑心暗鬼に陥った。これによって仁祖と昭顕世子の間に決定的な確執が生じたのである。
1645年2月、昭顕世子と姜氏がようやく母国に帰ってきた。猜疑心が強くなっていた仁祖は2人を極度に警戒し、徹底して冷遇した。その凄まじい精神的重圧の末に、帰国からわずか2カ月後に昭顕世子が急死してしまった。仁祖による毒殺説が囁かれるほどの不審死であった。
それなのに、仁祖は昭顕世子の葬儀を世子としてはあり得ない格下の扱いで行い、自身の服喪期間も極端に短縮させた。さらに仁祖の非情な粛清が続き、1646年1月には、仁祖の食事に毒を盛って暗殺しようとしたという捏造的な嫌疑によって姜氏が死罪になった。
しかも、本来は昭顕世子の息子(仁祖の孫)に正当な王位継承権があったのに、その原則を無視して、自分の次男を新たな世子にした。それが、1649年に即位した17代王・孝宗(ヒョジョン)だ。