韓国時代劇『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』は、戦乱の世を舞台に運命に翻弄される男女の究極的な愛を描いていた。ナムグン・ミンが圧倒的なカリスマ性を見せて通訳官イ・ジャンヒョンを演じ、アン・ウンジンが骨太に変身していく令嬢ユ・ギルチェに扮した。この名作において、2人の愛情物語の背景となっていたのが、朝鮮王朝最大の危機だった「丙子胡乱(ピョンジャホラン)」であった。
■深まる謎!世子一家を滅ぼした仁祖は本当に毒殺事件の首謀者だったのか?『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』物語の背景
それは、1636年12月のことだった。
10万人を超える清(しん)の大軍が朝鮮半島へと進軍した。16代王・仁祖(インジョ)は南漢山城(ナマンサンソン)に立て籠もり徹底抗戦を試みたが、最終的には降伏し、清の皇帝の足元で地に額を擦りつけて謝罪した。
その屈辱の代償として、仁祖の嫡男だった昭顕世子(ソヒョンセジャ)は弟たちと一緒に清の都である瀋陽(しんよう)へ連行された。実質的な人質になったのである。
瀋陽に滞在中の昭顕世子は、ただ悲運に泣くだけではなかった。知恵を絞って清の重鎮たちと堂々たる交渉を行い、有能な外交使節を担った。
そればかりではない。西洋から来ている宣教師と交流を重ね、科学技術などを学んで教養を高めた。そうした知見を活かして、朝鮮王朝に新たな時代をつくるという理想を高らかに持つようになった。
しかし、父親の仁祖は、昭顕世子に対して強い疑念を持った。自分に最大の恥辱を与えた清との間に強固な信頼関係を築き上げたことが許せなかったのである。その末に、器量の狭さからくるコンプレックスが日増しに強くなっていった。
1645年、昭顕世子が8年ぶりに帰って来た。仁祖は息子を歓迎するどころか、非情なほど冷遇した。西洋の品々を持ち帰った昭顕世子に激しい怒りを露わにし、手元の硯(すずり)を投げつける有様だった。
一気に仁祖と昭顕世子の確執が表面化した。祖国に戻ってからたった2ヶ月で、昭顕世子は急死してしまった。
『朝鮮王朝実録』の記述では、「遺体は黒く変貌し、目鼻をはじめとする身体の穴から出血していた」という。第三者の目から見ても毒殺が疑われる状況だった。
それなのに、仁祖は真実を調査することもなく、慌ただしく遺体を土葬してしまった。のちには、昭顕世子の妻であった姜氏(カンシ)を捏造事件で死罪にし、幼い孫たちも済州島(チェジュド)に島流しにした。