●大金を懐に「いざ〇〇!」ハメを外した渋沢の向かった先は……

 

 テロ計画の後処理も目途が立ち、カネの算段もついた渋沢。落ち延びる先は攘夷志士が集まる京都。表向きは「お伊勢参りと京都見物」として、テロの同志だった従兄弟の渋沢喜作と京の都へと向かうことに。だが、素直に中山道を西へ向かえばいいものを、なぜか二人が向かったのは江戸。

 幕府の追手から逃げるはずが、捕り方がウヨウヨいる江戸にむかったのはなぜか? 一つはテロ計画以前に足繁く通っていた一橋家の用人、平岡円四郎に渡りをつけるためだった。一橋家といえば御三家(尾張・紀伊・水戸)に次ぐ名門で、その頃の当主は水戸徳川家出身の一橋(徳川)慶喜。当時から「ゆくゆくは将軍に」と期待されていた慶喜の側近中の側近が、この平岡。

 そもそもは「幕府中枢に近い家に出入りしている人間が倒幕を狙っていると疑うまい」とカモフラージュのために近づいたようだが、平岡自身とも意気投合。京都に向かうにしてもテロ未遂の農民二人では怪しまれること間違いなしなので、平岡に「とりあえずあなたの家来ってことで身分保障してもらえないすかね?」と頼みに行くのが江戸に向かった理由だった。

 

●渋沢栄一&喜作、明日無き暴走で悪所へGO!

 

渋沢たちがドはまりした(?)吉原遊郭。当時は各藩から上京した志士との社交の場でもあったとか /歌川広重「新吉原俄之図」

 生憎、当の平岡は京都に居り不在だったが、この日があるのを予想してた平岡が手配済みで身分保障の書き付けは入手。これで安心して「いざ京都へ!」と旅立つはずなのだが……。

「ところが明日にも死のうというような考えだから~」(前出『雨夜譚』より)

 と苦しい言い訳をしているが、渋沢と喜作が向かったのは吉原遊郭! 死を覚悟のテロ計画から明日をも知れぬ逃亡生活と、気が張り詰めた日々で性欲が爆発するのは、ヤクザ映画に出てくるヒットマンなどでお馴染みの話。ましてや当時23~25歳と血気も勢力も盛んな二人、しょうがない面もあるが、使い込んだ額がとんでもなかった!

「たちまちのうちに二十四、五両の金がなくなってしまった」(前同)

 いや、「なくなってしまった」って他人事みたいに……。先の算式で言えば50万円近く、父・市郎右衛門から預かったカネの4分の1を早くも散財してしまったわけだ。さすがに最高クラスの花魁を揚げてドンチャン騒ぎをできるわけはないが、吉原遊郭といえば日本有数の高級フーゾク街、中級クラスの遊女が相手でも現在のお金で5万円は下らないという。つまり、少なく見積もっても二人合わせて3~4回は通ったはず。何をしているんだ、資本主義の父。