■アーリアン・ブラザーフッドの歴史

 1960年代まで、アメリカ国内の刑務所は人種ごとに分けられていた。しかし、公民権運動により法的な差別が撤廃されると、刑務所内においても受刑者の人種的な線引きが取り払われた。

 しかし「人種差別は禁止」という社会のモラルは受刑者には通じない。制度上は撤廃されても人種ごとのグループは互いに対立。ヒスパニック系のメキシカン・マフィア、黒人系のブラック・ゲリラ・ファミリーらに対抗するため、アーリアン・ブラザーフッドはカリフォルニアの刑務所で1964年に結成された。

 1975年には他のギャングとの人種抗争が始まり、政府はギャングのメンバーをカリフォルニアの他の刑務所に隔離したが、各地で拡大。1981年には2人のメンバーが黒人の受刑者を絞殺。その友人を67回刺して殺害。83年には看守を2人殺害した。

■全受刑者の0.1%が刑務所内の殺人の25%に関与!

 1990年代からは人種間の抗争よりも経済活動を優先し、組織的な犯罪に注力。伝統的なイタリアンマフィアよりも力を持ったという。

 FBIのレポートによると、1992年の時点でアーリアン・ブラザーフッドは刑務所人口の0.1%しか占めていなかったが、刑務所内の殺人事件の18~25%に関与していた。

 2002年、ギャングのリーダー29人が全国の刑務所で逮捕され、殺人、陰謀、麻薬密売、ゆすりなど多数の犯罪で起訴された。しかし、ほとんどのメンバーが仮釈放なしの終身刑に服していたため、裁判は困難を極め、死刑の対象とならない19人が有罪を認めた。

 2020年11月、アーリアン・ブラザーフッドに関係していたメンバー60人以上が逮捕。刑務所の外でも活動していることが明確になった。

 無期懲役を宣告されている受刑者の犯罪をどう裁けばいいのか、