■犠牲者を呼び寄せる断崖絶壁「一ノ倉沢」

ただし、「魔の山」と恐れられる谷川岳だが、800人を超すと言われる犠牲者の大半を生み出しているのは、ごく一部のエリアだという。それが日本三大岩壁の一つに数えられる「一ノ倉沢」だ。

 標高差800mを超す断崖絶壁でロッククライミングの聖地とされる一ノ倉沢。昭和30年代にこの何ルートの登攀競争が激しくなり、その結果、昭和33~35年には毎年30人を超す登山者の命を奪ってきた(なお、地元群馬県警発表のデータによると、ここ10年の遭難死者数は、ほぼ年1~3人程度)。

 こうして谷川岳は、「魔の山」や「人喰い山」などと恐れられるようになったのだが、そのなかでも有名な遭難事故が「谷川岳宙吊り遺体収容」だ。

 昭和35年(1960)の9月、一ノ倉沢の通称「衝立(ついたて)岩」を登っていた2人の登山者が滑落し、ザイルで結ばれたまま死亡する事故が発生。2人の遺体は稜線上から200m下で宙に浮いた状態のままだった。仲間が遺体を収容に向かったが、難所ゆえ回収はかなわなかった。

 しかたなくザイルを射撃で射抜くことになり、自衛隊が出動し、カービン銃、機関銃、ライフルなど12挺で射撃。開始から4時間後にようやくザイルが撃ち抜かれ、遺体は“墓標の山”と呼ばれる谷川岳の岩場に激しく打ちつけられながら転がり落ちた。

■魔の山だけに語られる怪談も数々と…

多くの犠牲者を出した一ノ倉沢では不可解な体験をする登山者が少なくない

 これだけ多くの人々の命を奪い続けた「魔の山」だけに、怪談めいた噂も数多い。

 たとえば、絶対に人の近づけないような谷底から「おーい」と呼ぶ声が聞こえる、あるいは、一ノ倉沢に向う途中で野営していると、夜中に“ガチャガチャ”と登山用具を鳴らして近づいてくる気配がするもののテントの近くで急にフッと気配が消えてしまうなど、奇妙な報告例は多い。

 なかにはガス(濃霧)に巻かれて下山ルートを見失った時、ふいに前を行く登山者の姿を見かけついていくが、避難小屋までたどり着き、下から登ってきた登山者に訊くと「そんな登山者とはすれ違わなかったよ」と言われたなどという話も(俗に「指導霊」と言われたり、世界的なクライマーが同じような体験をしたという)。

 今ではカフェやグランピング施設(!)ができ、すっかり様変わりした土合駅も、ひと昔前は、登山者が宿代わりにしていた無人駅の待合室や地下深くのホームが心霊スポットとして恐れられていた(ホームのトイレの鏡に自分以外の人影が映るとか)。

 その多くは「山で命を失った登山者の霊魂が家に帰ろうとして……」などと因縁話が続くのだが、一ノ倉沢の出合い(入り口)や土合駅前など、あちこちに慰霊碑があるため「もしかしたら……」と信じてしまうのも無理からぬところ。

 関東からもアクセスがいいため行楽シーズンに訪れる人は多いだろうが、霊に引き寄せられないよう、十分に注意していただきたい。