■地球のほとんどを占める深海は謎だらけ
世界中に衝撃が走ったタイタン号の悲劇的な事故で、再び、海洋、特に深海はヤバいと思い知らされた方も少なくないだろう。そもそも地球の表面は70%が海で覆われている。これは陸地の約2.5倍で、人類が海について知っていることは、わずか5%に過ぎないとも言われている。
さらに、その海の95%を占める深海(注1)は宇宙以上にわれわれが知らないことだらけ。そこに暮らす生物も常識がひっくり返るようなものばかりなのだ。一つ例を挙げれば、皆さんは「深海巨人症(あるいは深海巨大症)」、英語で言えばdeep-sea gigantismをご存知だろうか?
注1/水深200メートル以下を「深海」、さらに水深3000~6000メートルを「深海層(深層)」、6000メートル以下を「超深海層」と言うそうだ。
「〇〇症」というので、病気の一種と勘違いしそうだが、これは深海の生物特有のある現象のこと。簡単に言えば「同じ種類でも深海に暮らす生き物はなぜか巨大化する」ということだ。しかも、モンスター級に巨大化するというのだから驚きだ。
■仲間のダンゴムシの100倍の大きさに進化!
たとえば、最近ではぬいぐるみになったり、キャラクター化されたりして知名度が上がった「ダイオウグソクムシ」。身近に見かけるダンゴムシと同じ等脚目(ワラジムシ目)の仲間で、水深200~1000メートルに棲息する。そして、ダンゴムシが体長0.5~1.5センチ程度なのに対し、ダイオウグソクムシは45~50センチと100倍近い差がある。
しかも、イギリスの大衆紙「デイリー・メール」が2013年に報じたニュースによれば(注2)、メキシコ沖の海底油田で潜水作業中の作業員が、なんと体長76センチのダイオウグソクムシを撮影したという。残念ながら捕獲はできなかったので公式記録とはならなかったが、記事中で研究者も「これは本物」と太鼓判を押している。
注2/https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-1263042/Monster-deep-Oil-workers-dredge-giant-cousin-woodlouse.html
■海の怪物のモデルや地震を呼ぶ怪魚も深海が生んだ?
また、船を沈める海の化け物「シー・サーペント(海の大蛇)」のモデルともされる、世界最大級の無脊椎動物「ダイオウイカ」も深海巨人症の一例とされる。NHKが世界で初めて深海を泳ぐダイオウイカの撮影に成功したことで、ご存知の方も多いだろう。
やはり水深650~900メートルの深海を生息域とし、記録に残るもので全長18メートル。「クジラを襲う」という伝説もある(実際に襲われた痕跡のあるマッコウクジラなどが見つかっている)、深海に潜む怪物だ。
また、もっと身近なところでは、静岡県の駿河湾で特産とされる「タカアシガニ」は鋏脚を広げると最大で3.8メートルに達するという(ちなみに秋が旬で、やや水っぽいものの美味とのこと)。同じ駿河湾や遠く日本海側でも目撃が相次ぎ、「大地震の予兆では?」とたびたび噂になる「リュウグウノツカイ」も本来は水深1000メートルの深海に生息し、最大で体長11メートルの個体が報告されている。
■映画でお馴染みの「巨大な古代ザメ」も深海巨人症?
さらに、360万年前に絶滅したといわれる巨大なサメ「メガロドン」は発見された歯の化石から最大10~15メートルなどそのサイズが推定されている。2020年には英・ブリストル大学の研究者が化石を3Dk解析した結果「頭だけで普通乗用車並みの約4・6メートル、背びれが成人男性並みの1・65メートル、体長は18メートルに達する」と報告している(注3)。
注3/オンライン学術誌「Scientific Report」2020年9月3日掲載の論文より
このちょっとした潜水艦並みの巨大ザメも深海巨人症の可能性が推測される。もちろん、生息域が深海だったかどうか、シロナガスクジラなどのように深海から海水面近くまで広い生息域を持っていたかどうかは不明だが、2022年12月にオーストラリアの連邦科学産業研究機構(CSIRO)の研究チームが、水深5400メートルの深海でメガロドンなどの化石を発見している(注4)。
注4/Science Alert2022年12月11日記事より
また同じサメでいえば、明治時代にやはり駿河湾で発見された深海ザメの一種「ミツクリザメ」も水深1300メートルの深海を生息域とし、体長5~6メートルの巨体で知られている。海の浅瀬に生息する生物に比べ、深海に生息する生物が巨大化するこの現象「深海巨大症」はなぜ起こるのか? その謎はどう説明できるのだろうか?
■ベルクマンの法則なのか深海の環境なのか?
ひとつの有力な仮説が、ドイツの生物学者クリスティアン・ベルクマンが1874年に発表した「ベルクマンの法則」だ。簡単に言えば、恒温動物は同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きくなる、というもの。体長が大きくなると、体重あたりの体表面積が相対的に小さくなるため、体温維持のために体が大きくなる、という理論だ。
確かに、深海に行くほど水温は下がるため、納得しそうだが、ダイオウグソクムシやダイオウイカは変温動物。むしろ「寒い/緯度が高い地域の種ほど小さい」という逆ベルクマンの法則が当てはまりそうだが、専門家によれば、少なくとも甲殻類の場合、この理論が深海にも適応できることが指摘されている。
また、別の視点では、深海という過酷な環境が巨大化を進めたという。水深400メートルを超える深さでは食料が不足する。より広範囲でエサを採取するため、巨大な体が必要になったというわけだ。また、1平方センチ(1円玉よりもっと小さい)あたり、水深100メートルで10キロ、1000メートルでは100キロという尋常ではない水圧に耐えるために、頑丈で巨大な体に進化したという説もある。
さらに、この水圧も大きく関わる「溶存酸素」が巨大化のカギを握ると主張する専門家もいる。水の中に溶け込んだ酸素の量は、水温が低ければ低いほど、また、水圧が高ければ高いほど増えるとされ、まさに深海は溶存酸素の宝庫。ただ、酸素濃度が高すぎると逆に毒素として働くこともあり、小さな体で高濃度の酸素を取り入れる危険を避けるため、巨大化したという筋立てだ。
「深海巨大症」について、さまざまな理由が考察されてはいるが、推測の域を出ず、いまだに決定的な理論は構築されていない。人類が深海に到達することは難しく、調査・研究するには多大な費用がかかるためだ。「地球最後のフロンティア」と言われる深海には、まだまだ謎が沈んでいるのかもしれない。