■母の前に現れた「ロジャー(仮)」の姿は……
10年越しの念願が叶い、ティッチボーン夫人の前に現れた「愛する我が子・ロジャー」。夫人は彼の顔を見た瞬間、本物の息子だと確信した。しかし、客観的に見れば、その姿は似ても似つかないものだった──。
冒頭の写真や夫人自身が新聞広告に載せた説明によれば、「ロジャー(本物)」の容姿は「華奢(きゃしゃ)な体型でやや背が高く、非常に明るい茶色の髪と青い目」だったという。また別の証言では、「9ストーン(約57キログラム/注3)未満のほっそりした体型で長く青白い顔、ストレートの髪、左腕にタトゥーを入れていた」ともある。
注3/ストーンはイギリスの重量単位。1ストーン=14ポンド≒6.35キログラム
だが、夫人の前に現れたロジャー(仮)ことトーマス・カストロは、100キロを超える(一説には24ストーン、つまり152キロ!?/注4)巨漢で、モジャモジャとうねった金髪に丸顔の田舎臭い姿。後にティッチボーン家をよく知る村の鍛冶屋は「ロジャー様が競走馬なら、あれは輓馬(注5)だな」と呆れかえっていたという。しかも、肝心の左腕のタトゥーもきれいさっぱりなくなっていた(元からなかった?)。
注4/証言によれば、シドニーからロンドンへの船旅の間に20キロ近く太ったという。どんだけ贅沢ざんまいしてたんだ、ロジャー(仮)!
注5/ばんば、荷車を牽くずんぐりむっくりした農耕馬のようなもの
さらに中身も月とスッポン。幼い頃フランスで育った本物のロジャーはほぼフランス語が母語で、英語はひどいフランス語訛りだった。また、良家の子弟らしく立ち居振る舞いも洗練されたものだった。ところがロジャー(仮)は、フランス訛りもなければ、粗野丸出しの田舎臭いオッサン。しかも、重要な決め手となる幼い頃の思い出も「あ~あっそうね、そんなこともあったな~」などとあいまいに誤魔化すばかり。
■100人を超す支持者を集め、いざ準男爵の座へ!
「奥さま、どう考えてもこの方は……」
と、周りの人間や親族一同、詐欺師のなりすましと断定したが、なぜか、ティッチボーン夫人はますます息子と固く信じ、あろうことか年1000ポンド、つまり現在の貨幣価値で約5000万~8000万円ほどを”お小遣い”として与えると決めてしまった。
夫人を除くティッチボーン家の人々が大反対したのも無理はない。実はロジャー(仮)がロンドンに向かう半年ほど前の1866年2月、当主でロジャー(本物)の弟だったアルフレッドが急死していたのだ。つまりこのままいけば、オーストラリアの片田舎から来たおっさんに準男爵家を乗っ取られてしまうのだ。そこで、一族は探偵を雇い、シドニーやワガワガで「偽者の証拠」を求め調査を開始した。
一方のロジャー(仮)もやる気マンマン。ティッチボーン夫人以外にも、同家の顧問弁護士や主治医、自由党の国会議員まで100人を超える支持者をかき集め、”お小遣い”を元手にロジャー(本物)の幼い頃の情報などを収集し、理論武装を固めた(すでにこの時点で偽者丸出しなのだが……)。
だが、ロジャー(仮)の「準男爵への道」は呆気なく、つまずくことになる──。