■ファラオの呪いに遭った(とされる)人々(8枚)
カーナヴォン伯ジョージ・ハーバート(George Herbert)

1916年からハワード・カーターの調査隊を資金援助してきたカーナヴォン伯ジョージ・ハーバート。彼自身もエジプト学者だった。発掘の数カ月後に急死する。
画像:Harry Burton, Public domain, via Wikimedia Commons
オーブリー・ハーバート(Aubrey Herbert)

ジョージ・ジェイ・グールド(George Jay Gould)

アメリカの実業家だったグールドは、直接、発掘隊に関わってはいないが、発掘直後の王墓を見学した後、熱病にかかりそのまま死に至る。
画像:Public domain, via Wikimedia Commons
ヒュー・G・エブリン=ホワイト(Hugh G Evelyn-White)

アーサー・C・メイス(Athur C Mace)

メトロポリタン美術館から助っ人としてカーターの発掘隊に派遣されたメイスだが、わずか数カ月で体調不良となり隊を離れ、数年後病死した。
画像:Illustrated London News, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

発掘現場で王の戦車を調査するメイス(左)。呪い以上に昼夜を問わぬ激務が彼の心身を蝕んだのか……。
画像:Illustrated London News, Public domain, via Wikimedia Commons
リチャード・ベセル(Richard Bethell)

カーナヴォン伯の秘書、リチャード・べセルはホテルの一室で不審死を遂げたのだが、実は名門ウェストベリー男爵家の4代目を継ぐ予定の御曹司だった。写真はリチャードの曽祖父にあたり、ヴィクトリア女王の法律顧問を務めた初代ウェストベリー男爵。
画像:John Watkins, Public domain, via Wikimedia Commons
ブルース・スターリング・イングラム( Bruce Sterling Ingram)
