■失った機能を肩代わりする脳の力とは?

 しかし、脳はそう単純にはできていない。事故や病気で脳が損傷してしゃべれなくなったり立てなくなった人が、リハビリの結果、状態が改善することはよくある。脳には失った機能を別の部位で代行する「可塑性(かそせい)があり、緊急事態になると大人の脳も赤ん坊の脳のように柔軟に機能が成長し、傷を癒すのだ。

 

 現在、脳科学が注目しているのは、なぜ赤ん坊の脳の柔軟さを大人の脳は失うのかだ。脳は、ケガや病気で失った機能を復活させる。臨界期をとっくに超えた大人の脳が、再び神経を成長させ、新しく部位を作り直す。

 

 この可塑性─簡単に言えば緊急時に脳が行なう神経のつなぎ変えの機能─を利用すれば、大人になっても幼児のような語学や音楽の学習能力を持つことはできるはずだ。

 

■実は大人の脳も柔軟だった!

GABAの3Dモデル

「脳の可塑性」のカギを握るγ‐アミノ酪酸、通称GABAの3Dモデル。最近はチョコレートなど、機能性食品に使われているのでお馴染みかも。

画像:Jynto, CC0, via Wikimedia Commons

 なぜ脳は音楽や語学の習得に可塑性を使わないのか? そもそも可塑性とは何なのか?

 

 理化学研究所ヘンシュ貴雄らは、脳の臨界期では脳の神経の活動を抑える物質が働くことを発見した。たとえばγ-アミノ酪酸(GABA)は神経活動を抑える。そこでGABAを作れないように遺伝子操作した子ネズミで、子猫と同じく片目を縫い合わせる実験をしたのだ。

 

 縫われた片目を開けたところ、子猫では見えなくなっていたが、GABAの分泌を遺伝子操作した子ネズミの目は見えたという。神経を再度接続することができたのだ。

 

 大人になっても脳の可塑性はある。しかし、可塑性が働かないようにGABAのような物質で神経が抑制されている。おそらく、脳にとって自由に神経が接続することはマイナスなのだ。そこでいくつかの臨界期を設け、臨界期までに出来上がった神経以外は新しい神経をつながないように化学物質で抑制する。

 

■訓練で大人でも絶対音感を獲得?

脳のイメージカット

大人の脳も成長する──お子さんの教育に焦る必要はないのかも。

画像:shutterstock

 可塑性を取り戻すためには、神経の成長を抑制する物質が問題ということだ。もし、抑制物質が神経の活動を邪魔するのを防ぐことができれば、自由活発に神経は成長を始めるだろう。育て損ねた絶対音感の神経も成長を始めるかもしれない。

 

 神経を活性化する物質、たとえばアセチルコリンで神経を抑制するブレーキを解除できると科学者たちは考えている。また、リハビリのような一定の訓練で可塑性が復活する可能性はある。香港城市大学の研究チームは、訓練によって大人でも絶対音感が身につくと発表した(※1)
※1「Acquiring absolute pitch in adulthood is difficult but possible」(bioRXivhttps://doi.org/10.1101/355933)

 

 成人43名に異なる音と音階を覚える訓練を12~40時間行なったところ、うち6人は12音階を90パーセント以上の精度で当てられるようになった。だから臨界期を越えても、絶対音感の習得は不可能ではないのだ。

 

■焦って早期教育しなくても…

早期教育のイメージ写真

むしろ情操教育は早くからやってもいいかと。

画像:Arsdac, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

 脳の臨界期を考えれば、早期教育は正しい。しかし、早期教育を行なったことで、逆に子どもの学習意欲がなくなったり、親子関係に問題が出たりする恐れもある。そもそも臨界期は絶対ではなく、正確なことはまだわかっていないのだ。

 

 最近の研究では、大人では成長しないと言われていた脳神経が、生涯成長し続けることもわかってきた。たしかにそう考えないと大人になって始めたゴルフが上達したり、中年すぎて英語を勉強して話せるようになる人の説明がつかない。

 

 脳のことはわかっていないことだらけだ。お子さんの脳のためにも、臨界期までにと焦って詰め込み教育をするのではなく、そこはおおらかに子育てをして欲しい。

 

次回中編(9月6日公開予定)は「脳は1割しか使われてない」という神話の虚実について。