■皇后の相談役として権力の座

 

ラスプーチンを暗殺しようとしたグセヴァ

ラスプーチンを狙った「女暗殺者」の背後には……。

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 ラスプーチンは皇帝や皇后の前では謙虚に振る舞ったが、宮廷の外では性に乱れた生活を続け、売春婦や上流階級の女性たちに「自分と肉体的に接触すれば浄化される」などと説いて回り、酒浸りの日々を送ったという。宮廷に潜り込んだ怪しい祈祷僧の乱行は帝政ロシア国会で問題視され、密かに警察も行動を監視していたという。そして、そんな乱れた生活の“ツケ”はすぐにやってきた。

 

 1914年6月、故郷に帰省していたラスプーチンは、「反キリストめ、死ね!」と叫ぶ女性に短剣で腹部を刺された。彼女の名はキオニヤ・グセヴァ、当時、ラスプーチンと対立していたロシア正教のカリスマ司祭イリオドールの熱狂的な支持者だった。この時はすぐ病院に運ばれ、7週間の入院を経て回復。

 

入院中のラスプーチン

腹を刺された時も自ら走って暗殺者を捕まえ異常な頑丈さをみせたラスプーチン。

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 これに懲りたのか、翌年3月にモスクワを訪問した際は警護の人間を付けたそうだ。ただ、ラスプーチンはここでもやらかした。モスクワで一番の老舗高級レストラン「ヤール」で泥酔して、女性歌手の前でズボンを脱ぎ出し下半身を露出したという(注2)

注2/ただし現在は、これらのエピソードはラスプーチンの敵対グループが広めたデマの可能性が高いとされる。

 

 その後、ロシアは第一次世界大戦に突入。ニコライ2世は戦争の指揮に忙殺され、国内政治をアレクサンドラ皇后に任せるようになる。皇后のお気に入りだったラスプーチンは、政治はド素人にもかかわらず、相談役の座につき権力も手に入れた。当然、貴族や政治家たちからは反発を招き、これが彼の運命を暗転させることになる──。

レストランヤール

「下半身露出事件」が起こったとされる、モスクワで一番の老舗、高級レストランの「ヤール」(1910年頃)

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■殺しても死なない不死身の怪僧

 

 1916年12月16日夜、遂にラスプーチンを快く思わない貴族たちが暗殺を決行した。だが、皇帝の甥である貴族のフェリックス・ユスポフら暗殺者たちは稀代の怪僧の「怪物ぶり」を目撃することになるのだ。

 

暗殺現場、モイカ宮殿の地下室

暗殺の現場となったモイカ宮殿の地下室。

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 暗殺当日、モイカ宮殿の地下室に招待されたラスプーチンは、常人なら即死レベルの青酸カリを仕込まれた大好物のプチフール(ひと口大のケーキ)とこれまた愛飲していたマディラワイン(毒入り)を供される。だが、致死量の毒を盛られたのにもかかわらず、ラスプーチンは2時間経っても平然としていたという。

 

 深夜2時30分、毒入りワインを泥酔するほど飲ませた後、ユスポフは背後から2発銃撃。銃弾は心臓と肺を貫通していたという。だが、怪物の本領はここからだった。アリバイ工作をして地下室に戻ってくると、死んでいたはずのラスプーチンがガバッと立ち上がり、ユスポフに襲いかかったのだ!

 

暗殺の実行犯ユスポフ公

暗殺の実行犯とされるユスポフ公。

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 ユスポフが逃げると、ラスプーチンは彼を追いかけ、雪の降り積もる宮殿の中庭へ走り出た(!)。騒ぎを聞きつけた暗殺者の仲間がやってきて、さらに4発の銃弾を発射。1発がラスプーチンの背骨を撃ち砕き、怪僧はやっと雪の上に倒れた。

 

「さすがにこれで……」と安心していると、再び上体を起こした怪物/怪僧。パニックになった暗殺者たちはブーツでアタマを蹴り上げ、額を撃ち抜いてやっと絶命した(……はずだった)。

 

 

■検視報告が明かす本当の死因

 

ネヴァ川にかかる木橋

ネヴァ川の支流にかかるこの橋から、ラスプーチンの遺体が投げ捨てられた。

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 野生のヒグマかゾンビ並みの生命力(?)だったラスプーチン。暗殺者たちは万が一の復活を恐れたのか、遺体の手足をロープで縛り、深夜のネヴァ川へ捨てた。だが……。

 

 ここからは都市伝説だが、毒を盛られ、銃弾で心臓と肺と背骨と額を撃ち抜かれたラスプーチンの死因は「溺死」だったという説がある。頑丈に縛った手足のロープがほどけ、遺体は岸に上がるような姿で見つかったとも。つまり、川に捨てられた時はまだ生きていたというのだ。

 

ラスプーチン

都市伝説では青酸カリでも銃弾でも殺せなかったとされるが……。

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 ただし、後に検視報告を確認したジャーナリストによれば、残念なことに(?)肺に水は入っておらず溺死の可能性は低く、腕のロープは川に投げ捨てる時にほどけたのだろうという。また、検死した外科医は、彼の自慢のアレは無傷であることを確認したという。「虎は死して皮を残す」というが、怪僧は……。

 

 

没後約100年で人気が再燃?

 

まさか死んだ100年後にバズるとは怪僧ラスプーチンも予知できなかっただろう(笑)

 

 ラスプーチンの悪名は後々まで残ったようだ。「怪僧」というネガティブなイメージは、その後のソビエト連邦の「ロシア帝国は怪しい祈祷師に騙されて崩壊した」というプロパガンダに利用された。ただ、実際の性格は奇矯な言動は多いものの、カネに無頓着で平和主義。シベリア訛りがきつくて言っていることがよくわからない、要は「田舎の拝み屋のおっさん」といった感じだったそうだ。

 

ラスプーチンと妻と娘

自宅アパートで妻と娘マリアと。実際には質素な暮らしぶりだったという。

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 その一方で、存在そのものがスキャンダラスなラスプーチンは「稀代の悪役」として大衆にある意味愛され、映画や演劇で数多く描かれてきた。ドイツのディスコバンド、ボニーMが70年代に発表した曲「ラスプーチン」は大ヒットとなり、怪僧が死んで約100年後の2020年にはTikTokで再び人気になった。

 

 ちなみに、ロシア各地をはじめ周辺諸国にも「ラスプーチン」の名前を冠したストリップクラブやナイトクラブが数多く存在するそうだ。

 

ミンスクのナイトクラブ「ラスプーチン」

ベラルーシの首都ミンスクにある人気のナイトクラブ「ラスプーチン」。なかなかクールなので是非ホームページをご覧あれ(個人情報保護のため画像加工済み)。

画像引用:https://rasputin.by/en/