■総理になった藤原道長の末裔
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」のもう一人の主役といえる藤原道長。連載第2回でも取り上げた、平安時代の政治家にして、藤原家の最盛期を築いた貴族だ。
道長の子孫も、代々摂政・関白という時に天皇家をしのぐほどの権力構造のトップとして君臨し、「藤原摂関家」などと呼ばれた。この辺は歴史の授業で学んだ方も多いだろう。
そして、それから約1000年。時に凋落、衰退しながらも、天皇家に次ぐ名家として続いてきた道長の末裔から、再び、日本の権力のトップの座に就く男が現れる。それが今回の記事で取り上げる近衛文麿(このえふみまろ)だ。
ただ、第34、38、39代と三度も総理大臣を務めた文麿だが、すこぶる評判が悪い。「日本を大戦に巻き込んだ張本人」、「日本のファシズム(全体主義)化の元凶」など、歴史の教科書を見ても散々な書かれようだ。
■近衛文麿に対する散々な評価
教科書だけでなく、実は周りの評価も悪かった。たとえば、親交のあった終戦直後の外務大臣・重光葵(しげみつあおい)は、
「浅薄なる公卿的政治家以上の何者でもない」
と、手厳しい言葉で批判。また、側近として仕えた昭和天皇ですら、戦後、文麿の手記が公開された際に侍従長に対し、
「近衛は自分に都合の良いことを言っている」
と、言い訳がましい男とバッサリ。文麿と対立した海軍大将の井上成美(いのうえしげよし)に至っては「大佐どまりほどのアタマもない男」と身もフタもない言い様だ。
また、2000年代になっても、文芸評論家の福田和也は、歴代総理56人を採点した著書の中で、文麿を100点満点中17点と断トツの最下位と酷評している。
ただ疑問なのは、それだけ散々な評価を下される文麿が、なぜ三度も総理の座に就くことができたのか? という点だ。そこでここからは、文麿の実像を見ていこう。