「90年代が懐かしい」などと言われるとちょっと腹が立つ。

 50歳を過ぎると時の経つのが早く感じられるのか、20数年前などそんなに昔とは思えない。2022年と1990年代末は私の心の中では地続きである。しかし、90年代末の事象をひとつひとつ思い返してみると、今とはかなり違う世界だなとは思う。

 今回は話題の韓国ドラマ二十五、二十一』(Netflix独占配信中)で描かれている韓国の90年代後半を、私の日本留学時代(96~97年)の思い出もまじえながら振り返ってみたい。

1998年の夏、日本留学から韓国に帰国して半年くらい経った頃の筆者

■バッドニュースと日本コンプレックス

 90年代半ばは聖水大橋崩落(94年)、三豊百貨店崩落(95年)など悲しい事件が続いた。そして、97年末にはIMF通貨危機を迎える……。

 93年に文民大統領(金泳三)が登場し、軍事独裁政権の暗く長いトンネルを抜け出した我が国だったが、90年代の半ばから後半は自信喪失の時代といえるだろう。

 そんな韓国から逃げ出したかったわけではないが、私は96年と97年、語学留学のため日本で暮らした。前にもどこかで書いたが、焼肉屋さんでアルバイトしているとき、お客さんから「ソウルって中国のどの辺りですか?」とか「テレビとかあるんですか?」といった国辱的な(笑)質問を受けたのも懐かしい思い出だ。

 すべての面で日本は韓国の先を行っていた。とくに印象的だったのは個人主義の発達だ。我が国では友だち=同級生だったが、日本では共通の趣味やアルバイト先で年齢の上下関係なく友だちになれる。これは地域や学域などの社会的枠組みが強固な韓国社会で生きてきた者にとって、とても新鮮なことだった。

 実際、私のバイト先では5歳前後の年の差のある留学生たちが最年長者のアパートの部屋にたむろし、家族のように過ごしていた。そのなかには留学ビザが失効しているのにそのまま日本に居座る者もいた。当時は日本の飲食店でバイトしながらアパート暮らししても韓国よりずっといい暮らしができたのだ。経済的なことだけではない。日本では飲食業のイメージが韓国よりずっとよく、学歴などなくてもお店を成功させれば尊敬されたという点も見逃せない。前回書いたが、韓国で飲食業がスモールビジネスとして認められるようになったのは90年代末のIMF以降である。